アユタヤ-1 ~破壊された古都
2007年10月14日
午前5時半。バスの乗務員に起こされる。どうやらアユタヤに到着したようだ。
ところが、私が下ろされたのはアユタヤの街中ではなく、街外れのハイウエイわき。私の他には誰も下りて来ない。どうやら、皆バンコクへ行くようで、1人の客のためにわざわざアユタヤの街中までは行ってくれないということか。
ソンテウを拾って街中に出る。列車駅に着いたところで下車し、渡し舟で中州になっている中心部へ。道がえらく広い街外れに比べ、街の中心部は道が狭く、ゆったりとした時間が流れている。
駅から程近いアユタヤゲストハウス(ベッドだけのシングル100B)を宿に定め、少し休んだ後、ゲストハウスのレンタサイクルでアユタヤ巡りに出かける。
ワット・ラーチャプラナ
先日、スコータイ王朝の古都であるスコータイを訪れたが、アユタヤはそのスコータイ王朝を併呑したアユタヤ王朝の古都である。
城壁跡を過ぎるといきなりどでかい遺跡が道の両側に見える。右に見えるのが見事なクメール様式のチェディ(仏塔)ワット・ラーチャプラナ、左に見えるのが14世紀に建立された寺院ワット・プラ・マハタートだ。
ワット・ラーチャプラナはほんの少し見るにとどめ、ここではワット・プラ・マハタートを重点的に参観する。
ワット・プラ・マハタートは規模が大きく、当時は一級品の寺院であったことが容易に想像できる遺跡だった。というのは、多くの建造物が損傷著しく既に廃墟となっていたからである。
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ワット・プラ・マハタート
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頭や腕の無い仏像が痛々しい
実は、アユタヤ朝は1767年にビルマに滅ぼされ、その際に多くの建造物が破壊されてしまったのだ。境内にはきれいな仏像もあるものの、多くは破壊されている。中心部の壁沿いには、頭や腕が無くなった仏像がずらりと並んで、痛々しい姿を晒している。
菩提樹の幹に埋まり込んだ仏頭
それらの一つの頭だろうか。境内に生えている立派な菩提樹の根元には仏像の頭が埋まり込んでいて、不思議なオーラを放っている。今でもタイ人の信仰を集めている仏頭で、人がこれと並んで写真を撮る際には、ブッダに敬意を表する意味で人の頭が仏頭よりも上にならないよう注意を受けるほどである。
菩提樹といえば、ブッダガヤにおいてブッダがその根元で悟りを開いた場所でもある。しかし、この仏頭は見ていて痛々しさの方が先立って、「悟りを開いた」安らかさ等は伝わってこない。
次の場所へ移動し、黄金の大仏が見事なウィハーン・プラ・モンコン・ボビットを参観した後、隣接するワット・プラ・サンペットを訪れる。
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ウィハーン・プラ・モンコン・ボビットの黄金仏
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ワット・プラ・サンペット
王宮寺院だったこの寺院にも、ビルマ軍の破壊の跡が見られる。
こちらの被害者もやはり建造物と仏像。王の遺骨が収められている3つ並ぶチェディは立派な姿を留めているが、当時あったといわれる黄金の仏像は今に伝えられることは既になく、残っている仏像も手足をもがれている状態だ。
寺院の北には宮殿跡もあるが、土台や塀が残るばかりである。
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