コルカタ-7 ~死を待つ人の家(2)
2007年9月22日
マザー・ハウスの朝7時の礼拝
コルカタ最終日、いやインド最終日の朝は昨日同様、マザー・ハウスの朝7時の礼拝で明けた。
一度サダル・ストリートのホテル・マリアに戻ってチェックアウトした後、マザー・ハウスの別の施設を見学に行こうと思いついた。
私がこの2日通ったカーリー・ガートのほか、マザー・ハウスには以下のような施設がある。
- シシュババン(孤児の家)
- シャンティ・ダン(女性の家)
- ナボ・ジボン(アル中、麻薬中毒者などの家)
- プレム・ダン(障害者の家)
- ダヤ・ダン(障害児の家)
など。
私はこのうちダヤ・ダンを目指してギリッシュ・パーク界隈に向かう。しかし、地下鉄を下りてからの道が分からない。人力車夫に尋ねてみても要領を得ず、うろうろしてみても目的の住所が分からない。結局、時間ばかりが無駄に過ぎてしまい、私は見学を諦めてサダルに戻った
(午前中に見学に行くなら、朝の礼拝後にボランティアが纏まって出かけるので、それに着いていった方が確実だ)
午後、マザーハウスのカーリー・ガートで2度目のボランティアに挑む。
前日が無我夢中であっという間に2時間が過ぎたのに対し、この日は自分の無力さを痛感することとなった。
2日目にもかかわらず、何をすればいいのかが分からない。
患者たちの様子をじっと見ながら待機していると、西洋人ベテランボランティアから「飲料水をついで回ってくれますか?」と言われ、ようやく動き出すという体たらく。マッサージやストレッチングをやろうにも、要領を得ない。
患者の話の聞き手(相手の言葉が分からないので笑顔でうなずくしかできなかった)になってあげたり、汚物で汚れた下着を交換してあげてお礼を言われたりした時には「こんな私でも喜んでもらえるんだ」と少しばかりは思えたが、それでもトータルでは自分自身に対する不甲斐なさばかりが残った。
カーリー・ガート屋上
昨日と同じようにカーリー・ガート屋上で、香港、韓国、アメリカ等から来た一期一会の仲間たちと作業後のお茶を飲んだ後、カーリー・ガートを去る。
たった2日では、余りに少なすぎた。
機会があれば、またここに来て、今度はもっと腰を据えて再チャレンジしたい。
とはいえ、この日がインド最終日だったことを考えると、最後の最後で、最高の経験をすることができたのには間違いない。
サダル・ストリートまではミワと一緒に戻った。
ブッダガヤ以来、彼女から元気を分けてもらえたような気がして別れが惜しまれた。ミワの方からも「楽しかったです」との言葉をもらい、握手で今後の無事と健闘を祈り合った。
たまたま同じ便に乗ることになっていた日本人女性とタクシーでコルカタ空港へ向かうことにする。
タクシーは宿のオヤジに200Rsでということで手配してもらったが、いざ乗ろうとすると「2人になったから250Rs」などと言い出す。
人数が増えて料金割り増しのタクシーなど聞いたことがない。ふざけるなと他のタクシーに値段を聞いてみたところ350Rsとのことだったので、結局そのタクシーで行くことになってしまった。
空港に着いたら着いたで、残りのインドルピーを両替しようと思って窓口に行くと、
「手数料:100Rsもしくは両替額の2% のうち高い方」
と、またふざけるなと言いたくなる値段が掲示されている。両替は向こうに到着してからすることにした。
インドのがめつさに、最後まで振り回され続けた格好だった。
夜中の23:50発の飛行機で、コルカタを離れ、インド滞在を締めくくる。
計約5週間の滞在となったが、それでも回れたのは北インドのみ。いや、北インドですら満足に回れていないかもしれない ―― インドを離れてから特にそう思えてきた。
次の機会があれば南インドも巡ってみるかな。
そしてもう一度必ず、ダラムサラへ、コルカタへ…
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