コルカタ-6 ~死を待つ人の家(1)
2007年9月20日
午後から、いよいよマザー・ハウスでの実践活動である。ミワに案内されて「カーリー・ガート」まで赴くが、場所は、先日近くまで訪れたカーリー寺院のすぐ隣りだった。
カーリー・ガートは「死を待つ人の家」との呼び名がある。
カーリー・ガート
施設に入ると、布団を並べただけの野戦病院のような広間に、50人以上の入所者が私を待ち受けていた。
彼らはpatient(患者)と呼ばれていた。中には、とても死を待っているとは思えない程元気な者もいる(死を待たずに“出所”する者もいるらしい)が、多くは自分で歩く事ができない、自分で立ち上がることができないなど、何かしら身体にハンディを負っている。
この日のボランティア活動は、洗濯から始まった。患者たちの衣服を、消毒液と洗剤の混ざった水で丹念に洗う。
その後、患者の体にマッサージを施したり、エクササイズ(運動)の相手をしたりしているうちに、食事の時間となった。
私がエクササイズの相手をしていた患者は、1リットルの水が入ったペットボトルを手で投げたり受けたりはできるものの、下半身がかなり弱っていて、自分で歩くこともままならない状態だった。
彼を布団まで送ることになる。体を後ろから両手で支え、彼の左足の下に自分の左足を差し込んで歩みの手助けをするが、なかなか思うように進まない。そして、私の両腕には、「人間ってこんなに重かったのか」と再認識させられるほどの重みがのしかかってくる。別の西洋人ボランティアの助けも借りて、ようやく彼を布団まで送ることができた。
患者たちが所定の位置に就いたところで、パンとカレーとヨーグルトの食事が配られる。
食事を配っている私に、西洋人スタッフが声をかけてくる。
「(一人の患者を指しながら)彼に食事を食べさせてやってくれないか?」
患者たちの大部分は自分で食事を取ることができたが、中には自分で食事を取ることができない者もいる。そうした患者に食事を施すという大役が、私に回ってきたのだ。
彼が左手に持ったトレーの上に盛られているカレーをパンに付けて、それを彼の口元に持っていく。すると彼は、口を開けてそれをモグモグと食べる。
彼は言葉も不自由なようで、しかも表情もほとんど変わらない。次にパンを口元に持っていくタイミングなどは彼の動きから察するほかない。
そんな彼が、食事が終わりに近づく頃に、感情を見せた。まず左目から、そして右目から、一筋の細い涙を流したのである。
私の行為に感謝したのか、食事ができること、生きていることを有難く感じたのか、カレーの刺激が強かったのか、それは定かではない。しかし、私の行為が彼の心を動かすことができた ―― それだけでも、この日のボランティアをやった甲斐があったというものである。
さて、どこで食事を切り上げたらいいものか ―― 彼が言葉を発しないため、そのタイミングが分からない。
と思っていると、彼は左手に持っていたトレーをゆっくりと下げ始めた。これが彼の「ごちそうさま」の合図という訳だ。
食事の後は洗い物の山。これを洗って、本日のボランティア活動は終了。2階に上がって、チャイとクッキーで一息入れながら、日本はじめ各国から訪れたボランティアたちと会話を楽しむ。
奉仕活動を終えて、2階で歓談
カーリー・ガート正面の様子
2階のテラスからは、往来の様子が見える。道を歩く者、そこにたたずむ者 ―― 裕福とはいえないが、皆健康的な生活を享受しているように見える。
先ほどまで接していた患者たちの姿とは対比的だ。健康の有難さ・大切さをこの日だけでも再認識させられた。
明日でインドも最終日。午後にはぎりぎりの時間までカーリー・ガートでの活動に参加してインド滞在を締めくくることになる。
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