ブッダガヤ-1 ~スジャータの乳粥供養
2007年9月13日
チャイとサモサとガンガー・ウォッチング ―― そんなバラナシの朝もこの日で終わりだ。お世話になったラジャさんに挨拶し、バックパックを背負ってバラナシ駅へ向かう。
列車は10時20分発車の予定だったが、時間になっても列車は来ない。たまたま居合わせた、目的地を同じとする日本人たちと話をしながら時間を潰す。
2時間遅れでようやく列車が到着。これだけ待たされたのは初めてだったが、"That is India"と思えば2時間程度何ということはない。ゆったりと行こう。
17時、列車がガヤ駅に到着した。しかし、ここはまだ目的地ではない。同じ列車に乗っていた日本人5人とオートリキシャを相乗りして向かった先に、それはあった。
ブッダガヤ…
仏教の開祖・ゴータマ・シッダールタが悟りを開いて仏陀となった、仏教の聖地である。
すぐにでもあちこち回りたかったが、既に夕刻。この日は宿を決め(ラクシュミ・ゲストハウスのドミトリーにする)、近くの「新銀座」という食堂で駅から一緒に来た日本人や近所の日本語が達者な土産屋の主人たちと話をしながら食事をするに終わる。
2007年9月14日
本格的なブッダガヤ巡りはこの日からとなった。
まず訪れたのが、街外れにあるセーナー村。
この村、別名をスジャータ村という。
スジャータというのは、ラージギルで苦行に入り、6年の後骨と皮だけになってふらふらになっていたシッダールタ(*)に乳粥を施した女性の名前である。
シッダールタが悟りを開く道へと進むきっかけとなった重要なイベント“乳粥供養”が起きた地が、ここなのだ。
前正覚山
スジャータ伝説を記念したストゥーパ
ブッダガヤの街の東に流れるナイランジャラー川を、シッダールタが苦行を行った前正覚山を横目に見ながら渡ると、そこがセーナー村である。
スジャータ伝説を記念したストゥーパを見た後、乳粥供養の像があるという場所を目指すが、道がよく分からず、地元の人に案内されながらようやく着くことができた。
乳粥供養の像
乳粥供養の現場といわれる場所にはガジュマルの木が立ち、仏教の聖地なのになぜかヒンドゥー寺院(学校が併設されている)の中に、スジャータがシッダールタに乳粥を施す場面を再現した像が2つ安置されている。
像で再現されたスジャータは、とても優しく、穏やかな笑顔をしている。
彼女の行為はシッダールタの苦行を中断させてしまった形になってしまったが、彼に生きることの素晴らしさを教えることとなり、後の悟りへと繋がった。
仏教で強調されている"慈悲"の原点は、もしかしたらスジャータにあったのではないだろうか、とさえ思えてくる。
ここの学校は寄付で成り立っている。私も心ばかりの寄付をさせていただいたが、寄付の多寡にけちをつけられたのが気分が悪かった。
また、この村には、上記のヒンドゥー寺院のほかに、幾つかの“青空学校”が見受けられる。
教室が一つしかないような粗末な校舎の内外で、子供たちが教育を受けられることの喜びを噛み締めるかのように、生き生きと授業を受けている。
教師の中には、日本人のボランティアもいた。
セーナー村の小さな学校
この子どもたちに明るい将来を
ブッダガヤのあるビハール州は、インドの中でも識字率が低い地域だと聞く。しかし、子供たちの教育を受けることに対する喜び、そしてボランティアら教える側の努力が、いつかきっとそんな汚名を返上してくれると信じたい。
* 出典:THE BUDDIST CHANNEL
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