バラナシ-7 ~ムスリムエリア
2007年9月10日
この日も朝の5時半、歌声にたたき起こされた。
そのままアハイリア・バイ・ガートへ朝の散歩に出かけ、2Rsのチャイをいただく。
2Rsチャイ売りのお姉さん
茶色いおちょこのような器でいただき、飲み終わったら「土に返す」ということで地面に叩きつけて割る習慣になっている。
水辺を見ると、昨日より水位が10cmほど低くなっていて、水の下に隠れていたダシャシュワメード・ガートに繋がる道が顔を出していた。その道伝いにダシャシュワメード・ガートへ移動し、通りの軽食屋でサモサ(ハッシュドポテトを小麦の皮でくるんで揚げた軽食)カレー味の朝食をとる。
さて、そろそろ財布の中身が気になり始めた。バラナシに来てからなかなか国際キャッシュカードの使えるATMが見つからずにいたのだが、ナナ情報で「ゴードウリヤーの映画館にある」という話を聞きつけた。ダシャシュワメード・ロードを出て右に曲がった先にある映画館の入り口に入ってみると、確かにATMがある。ようやくカードで現金を引き出すことができた。
宿に戻ってみると、計画停電の真っ最中。再び外出する。
ベンガリー・トラを南へ下り、レストラン「しゃん亭」あたりで西に進むと、次第に人々の服装が変わってきた。白い上着に白い帽子もしくは頭巾、そして大部分が白いズボンをはいている。
ムスリムエリアの表通り
ムスリムエリアの裏通り
ムスリムエリアだった。
ヒンドゥー教の聖地であるバラナシだが、イスラム教徒も少なからずいるのである。
しかし、だからと言ってヒンドゥー教徒とイスラム教徒が“共存”しているとは言い難い。かつて宗教対立を原因とするテロが起きているほどだ。
ヒンドゥー・イスラムの対立はインドとパキスタンを分離独立させるほどの根深さがある。本来人の心を豊かにさせるべき宗教がなぜ人の心を偏狭にさせ、相手を認めずに殺し合うことまでさせるのか ―― 以前の私が宗教に対して懐疑的だったのも、そこに原因があった。「相手を認める」ことができればこうした無益な争いは避けられるはずなのだが ―― 「相手を認める」ということはそれほどまでに難しいことなのだろうか…。
とはいえ、この日訪れたムスリムエリアは平穏そのもの。人々やリキシャなどがゆったりと行き交い、人々の表情も穏やかだった。
この平穏が、いつまでも続きますように…。
などと偉そうに書いてしまったが、心の平穏を保つということは実に難しい。その後宿に戻って、宿で貸し出されていた手塚治虫「ブッダ」をベッドで寝転びながら読んでいたのだが、躾の悪いガキ ―― もとい、小さな男の子が、闖入してきて喧しくし、私の読書を妨げる。私は大人げなく一喝してしまい、そのまま外に飛び出してしまった。
そんな私を落ち着かせてくれたのは、一杯の2Rsチャイとガンガーの眺めだった。別にガンガーの神秘がそうさせたという訳ではなく、もとより私にとって水のある自然の風景は一番の精神安定剤なのだ。
3日前に再会したヨージ・ナナ夫妻が翌日バラナシからブッダガヤに移動するという。最後に3人でMEGU CAFEへ夕食に出かけたが、ヨージの様子がおかしい。かなり苦しそうだ。
「下痢と…熱が…」
おいおい、明日出発なのに大丈夫か?
「ガンガーの水に頭までつかったのがまずかったんじゃないの?」
でも、同じくガンガーの水に頭までつかったナナはぴんぴんしている。そのナナが言うには、
「昼に私が食べなかった、変なにおいのキュウリをヨージは食べてたから、そのせいかも…」
とのことだった。
結局、ヨージは料理を少し食べただけで、1人で宿に戻ってしまった。
ナナと2人で食事をする中、私は昨日感じた疑問を彼女にぶつけてみた。
「ガンガーで火葬された人の魂って、空に帰ると思う? ガンガーに帰ると思う?」
ナナは少し考えた後、
「うーん…やっぱりガンガーに帰るんじゃないですか?」
「やっぱり…」
まだ結論が出ていないから質問したのだが、私も何となく、そう思うようになっていた。
宿に戻ってみると、ヨージは先ほどよりも顔色がよくなっていた。とは言っても、下痢と熱が治まった訳ではない。明日早朝の出発までは要注意である。
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