ダラムサラ-7 ~ティーチング3日目
2007年9月5日
昨日チベット医のクリニックで処方してもらった薬は効果覿面だった。胃痛はすっかり治り、久々に空腹感がわいてきた。
<後日談>
薬は3日分もらったのだが、結局2日で治り、3日目はのまずに済んだ。
心身ともに快調な状態で、ダライ・ラマ14世のティーチング最終日に挑む。日を重ねるごとにお話をしっかりと聞きたいという気持ちが強くなり、この日はFM放送を利用した同時通訳を聴くためにドミトリーで同室のタケシにラジオを借りて臨む。
最終日は午前の部だけで、内容は昨日説明があったように「戒律を授け、観音菩薩の灌頂(かんじょう)を授与するという儀式」が中心となった。
前半は修行や戒律についてのお話。同時通訳のお陰もあったが、お話の内容も昨日までに比べれば分かり易かった。(以下その一部)
「仏教とは入信した直後から実践できるが、学ばなければ実践は叶わない」
「来世、再来世のことまで考えながら修行と実践を積み重ねることが必要である」
「在家信者は(1)殺生をしない(2)邪淫をしない(3)盗みをしない(4)嘘をつかない(5)アルコールを飲まない ―― この5つのうち少なくとも1つの戒律を実践しなければならない」
(全てが求められる訳ではないのだ。私にだって少なくとも(2)邪淫をしない(3)盗みをしないぐらいは楽勝で実践できそうだ)
そして後半。灌頂の儀式である。様子見だけのつもりだったが、周囲につられて私も見よう見まねでやってみる。
(1)五体投地を3回繰り返す
(2)経の復唱
(3)菩提心生起の偈⇒菩提心を自分の中に芽生えさせる
(4)観音菩薩の灌頂の授与
というプロセスで行われた。私はその場の勢いでの真似事に終わってしまったが、周りの人々、特にチベット人は真剣そのものだった。
11時45分、今回のティーチングの全日程が終了した。前日、前々日同様、法王様が皆に姿を見せ、手を降りながら笑顔で公邸へと戻っていく。
残念ながら話の半分以上は理解できなかった。それでも、ダライ・ラマ14世のお声に、お姿に、お人柄にリアルに接することができたのは、今回の旅で一番の思い出となり、そして一番の収穫となった。と同時に、私の仏教への関心がまだまだ中途半端であることを思い知らされた3日間でもあった。
いつもの落ち着きが戻ったツクラカン
ツクラカンをコルラする人々
ティーチングが終わったこの日夕方、私はダラムサラを後にすることにしていた。とは言っても時間はまだ半日ある。私はもう一度、ダラムサラの街をゆっくりと散歩してみた。
先ほどまでティーチングが行われていたツクラカンは"祭りの後の静けさ"だった。人々が談笑し、仏に祈りを捧げ、壁に設置されているマニ車を回しながらコルラするという、いつもの落ち着いた雰囲気に戻っていた。
ツクラカンの門前街
ティーチングで法王様を身近に感じられたことも大きかったが、ダラムサラに来たこと自体が貴重な経験だった。
チベット仏教…
チベット難民…
彼らの奪われた祖国…
これらは、その後の私に訪れることになる“転身”への強い契機となった。
夕方、ルンタレストランでダラムサラ最後の夕食を済ませ、デリーへ向かうバスに乗り込む(直行のバスがあったのだ)。
このバスは座席とスリーパー(寝台)が雑居しているという、私にとっては初めて見るタイプのものだった。乗客はツーリスト半分、地元の人半分だったが、西洋人ツーリストたちは皆スリーパー利用で、座席利用の物好きな外国人は私一人だった。
上記の"転身"後、私はチベット問題について貪欲に学ぶ中、ダラムサラでまだ訪れるべき場所が数多く残っていたことに気づく。TCV(チベット子供村)、チベット文化センター(ノルブリンカ)等々。
チベットの真の解放が早期に成就できればいいのだが、万一私の存命中にそれが叶わなければ、必ずやまたここに来てそれらの施設を訪れ、最初の訪問時よりもより真剣に且つ本格的に、チベット問題と向き合うことになるだろう。
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