デリー-2 ~オールド→ニューデリー
2007年8月21日
ラール・キラーとジャマー・マスジットの間を走る道を南へ進む。
暫く歩くと、デリー門が見えてきた。かつてオールドデリーを囲んでいた城壁に設けられていた門である。
デリー門
即ち、ここから先がニューデリーだ。
現在では城壁もすっかり破壊され、このデリー門やアジメリー門などが辛うじて残るのみだ。ここにもムガル帝国の盛衰が感じられる。
デリー門から東へと方向を変える。その先にはラージ・ガートと呼ばれる広場があった。ここは、暗殺されたインド独立の父・マハトマ・ガンディーが荼毘に付された場所なのである。
残念ながらこの時は中に入ることはできなかったが、せめて門の外からガンディーに思いをはせ、彼の冥福を祈らせていただいた。
<後日談>
その後の訪問で正しい入り口を知った私は、デリーに来たら必ずここに来てガンディーの墓参をするようになる。
デリー門まで引き返し、ニューデリーを更に南へ歩く。やがて、デリー門よりも一際大きい、パリの凱旋門を思わせるような門が見えてきた。
インド門が凱旋門を思わせるのは、その姿形ばかりではない。ここを中心に道が放射状に延びているところもそっくりである※。その中でも一際広い、西に向かって延びているラジパト通りの向こうには大統領府も見える。
※筆者はパリに行ったことはない。写真や文章で知っているのみである。
インド門
但し、このインド門は英雄を凱旋するために造られたのではなく、その実は第1次大戦で戦死したインド兵の慰霊碑だという。
つまり、イギリスに支配された挙句、戦争にまで駆り出されて死んでいったインド人たちの怨念がこもっているとも思われる門なのだ。
インド門から官庁街を横目に、コンノート・プレイスを経由してメイン・バザールに戻る。気がつけば、かなり広いエリアを最初から最後まで徒歩で回ってしまっていた。
近所のネット屋で3日ぶりにインターネット。メールなどをチェックしていると、チベット、ネパールで一緒だったワタルからメッセージが来ていた。何と彼は現在、ここデリーにいるという。ネットを終わらせてメッセージに書かれていた宿に行ってみたが、生憎不在。暫くフロントで待っていると、19時すぎに戻ってきた。
「あ、カズさん! また会えるとは思ってませんでしたよ!」
お互いに嬉しい再会だった。
ネパールを離れてからは宿では日本人と交流があったものの基本単独行動ばかりだった私とは対照的に、ワタルはしっかりインドの仲間を見つけて行動を共にしているようだった。その仲間4人に私も交じり、久々に賑やかな夕食時間を過ごした。
「いやー、インド最高! 大好きですよ」
ワタルはすっかりインドが気に入ったようだ。かなりハイテンションだ。「インドに行った人は大好きになるか大嫌いになるかの両極端に分かれる」とよく言われるが、ワタルは典型的な前者である。
この日はその後にも、ラサで少しだけだったが交流のあった、大学の後輩に当たるカズヤとパハール・ガンジでばったり出会うという再会もあった。
その後もワタルと夜遅くまで旅談義を続けた。特にワタルはこれから行こうとしているパキスタンについて私にいろいろ尋ね、私はアムリトサルで新聞を読んで知ったバラナシでの洪水のことを尋ねるなど、情報交換を怠らなかった。
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