ラホール-1 ~ムガル帝国の古都
2007年8月18日
ラホールの旧市街
ラホールは、ムガル帝国の首都になったこともある古都である。その当時の名残りを留めているのではないかとも思われる旧市街を通って、歩いてラホール・フォートへと赴いた。
ラホール・フォートは日本語に訳せば「ラホール城」。1560年にムガル第3代皇帝アクバルによって建てられた城砦だ。
強固な城壁に守られた城内に入ってみると、広大な敷地が広がっていた。城の外観は飾り気が無く無骨だが、さすが大帝国の核となった城という威風が感じられる。一方で内部が美しく飾られている建物があったり、広く整った庭園があったりするという側面もある。これらはムガル帝国の繁栄を物語る証人たちだ。
しかし半面、目を別の方向に向けてみると、廃墟になってしまった場所も見られる。繁栄を極めながらも最後は近代的な兵器を携えた大英帝国の前に滅んでいったムガル帝国の歴史を象徴しているようにも思われた。
ラホール・フォート
ラホール・フォートの中庭
ラホール・フォートに隣接した所には、城砦とは対照的に美しさの際立つ建築物があった。第6代皇帝アウラングゼーブの手によるバードシャーヒ・モスクである。
バードシャーヒ・モスク
このモスクの美しさの一つは、色彩である。3つの白い丸屋根とピンクの壁が、先ほどの無骨なラホール・フォートと比べるまでもなく、際立って鮮やかだ。
もう一つは、均整。ただバランスがいいというだけではなく、シンメトリー(左右対称)が実現されているのだ。単に建築技術だけで造れるものではない。インド文化圏で古代から数学が発達していたことも関係しているに相違無い。
そして、かなりの広さの中庭を擁している。異教徒は祈りの時間にはモスクに入ることができないので祈りの様子を見ることは叶わないが、一体何十人、何百人、いや何千人の信者が一度に礼拝をすることができるだろう。
退場時に少々、悶着があった。一般的にモスクを参観する時には靴を脱いで入場しなければならない。私は靴置き場に靴を置いて参観したのだが、退場して靴を履く際にそこにいた男性から「預かり代50Rs」と言われた。しかし、そんなことはどこにも掲示されていない。
書かれてもいない料金を払ういわれは無い。私は「どこに値段が書いてある!」と突っぱねてそのままそこを立ち去った。この辺りではこういうことがまかり通っているのだろうか。
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