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世界への旅(旅行記)

アジア周遊第4部 ネパール

パタン・1 ~チベット難民キャンプとダルバール広場

2007年7月28日

カトマンズ、バクタプルで2箇所、ダルバール広場という名の場所を訪問した。先述したように、「ダルバール」とは「王宮」の意味であり、上記のダルバール広場はいずれも3王朝並立時代に王国の首都となった街の王宮前の広場である。
ということは、もう一つダルバール広場があることは想像に難くないだろう。カトマンズ市街の南・バグマティ川を挟んですぐの場所に位置するパタンにあるのがそれだ。

タメルからパタンまでは約5km。ちょっと遠いが私には余裕の徒歩圏内である。私はカトマンズの目抜き通りであるカンティ・パトを南へ歩いて行ったが、さすがにこの通りは車が多く、空気も悪い。

バグマティ川を渡り、パタン市域に入る。
アショカ・ストゥーパの前を通り過ぎ、まず訪れたのが、なぜか動物園。時計回りの順路を歩き(つまりはコルラ)、動物の姿を目にしばし気持ちを癒した。

それからもダルバール広場には直行せずに、別の方向へと足を向けた。
やがて行く先に、チベット寺院が見えてきた。その正面にはマンションのような建物があり、看板にはこう書かれていた。
チベット難民キャンプ
チベット難民キャンプ
Tibetan Camp
即ち、チベット難民キャンプである。ここはハンディクラフトセンターとして開かれており、難民たちは工芸品を手作りし、売ることで生活の糧を得ている。
しかし、私は大きなミスをしていた。この日はハンディクラフトセンター定休日の土曜日だったのだ。門は閉ざされ、中の様子を窺うことはできなかった。
外から一見すると、「難民キャンプ」という言葉に着いて回る悲壮なイメージはわかない。しかしこの中では紛れもなく、中国共産党の民族差別・弾圧・虐待・民族文化の破壊から逃れてきた大勢の善良なチベット人が、祖国を奪われ、祖国に戻れない悲しみと闘いながら生きているのだ。
なぜ何の罪も無い彼らがこんな目に遭わなければならないのか ―― げに憎むべきは、中華帝国主義である。

<後日談>
ネパールでは2008年に王政が廃止され、連邦共和制へと移行したがこともあろうにマオイストが与党となり、中国共産党のチベット政策を公然と支持するようになった。その後マオイストは下野したが、難民の方々の状況は以前と比べて格段に厳しくなっている。

ようやくパタンの中心であるダルバール広場に到着したのはそれから40分も後のことだった。

ダルバール広場
ダルバール広場
ダルバール広場
上から見た同広場

ダルバール広場では、旧王宮の周辺に石造り、煉瓦造り等の寺院(ここでもカトマンズ、バクタプル同様、仏教・ヒンドゥー教が混在している)が立ち並んでいる。これらが不思議な均整を保っていて、非常に美しい構図となっている。
広場わきの建物の屋上に上り、昼食がてら広場の俯瞰図を楽しむ。地面も建物の屋根も雨で濡れているが、それがまたともすれば地味な配色の広場の風景に光沢を施していて、絶妙な美しさを呈している。雨がちな夏のカトマンズ盆地の空と風景に、不思議なほどとけ込んでいた。

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