バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第4部 ネパール

カトマンズ・1 ~ダライ・ラマを敬愛する中国人

2007年7月22日

安宿や旅行用品店などが密集するタメルに到着した私たちは、カトマンズの安宿というと真っ先に名前が挙がるホーリーランド・ゲストハウスに向かった。ヨージ・ナナ夫妻はツインルームに泊まることになり、残る3人はドミトリーを見せてもらった。しかし、中を見るなりリョウコが、
「ここは ―― 私、ちょっと無理です」
と言って、他に心当たりがあったようで、さっさと他の宿を求めて行ってしまった。
確かに、少々薄暗くてお世辞にも奇麗とは言えない。
「でも、そんなに悪いとは思わないけどな」
それに、宿代が1泊80Rsとかなりお得である。私とサトコはそのままそのドミトリーに居つくことになった。

そうこうしているうちに夕食時になった。ここタメルには日本料理店も幾つかある。ホーリーランドに居ついた4人でその中の一つ「ふる里」に出かける。実はホーリーランドに宿を決めた理由の一つにこの料理屋の割引券が貰えるということがあったのだった。
日本料理を食するのは6月初頭の大連以来である。私はカツ丼を注文し、50日ぶりの日本の味をじっくりと楽しんだ。
カツ丼
久々の日本食! カツ丼

宿に戻る途中、インターネットカフェに立ち寄る。南チベットを回っていた間はできなかったので、久々にアクセスしてみるとメールやらブログの更新やらがすっかりたまってしまっていた。
看板は"High Speed"となっていたがそれ程ではない。しかし、劣悪極まりなかった中国やチベットの回線に比べるとそこそこ快適だった。

宿に戻ってさてシャワー(ドミトリーは屋上の共同シャワー使用)を、と思っていたらお湯が出ないとのことである。しかしサトコは「気合で浴びてくる」と果敢にも上がっていった。
それから随分経ったが、サトコはなかなか戻って来ない。様子を見に行ってみると、屋上で東洋人の若い女性と話し込んでいた。
彼女はフェイさんといい、中国・広東から来たという。前にインドでサトコと会ったことがあり、ここで偶然再会したらしい。私も英会話の輪に入れさせてもらい、インドの話などを聞かせてもらった。
その中で、フェイさんはこんなことを言った。
「私、ダラムサラでダライ・ラマに会ったことがあります」
更には、
「ダライ・ラマの写真は私の宝物です」
と、さも愛しげに言う。
意外だった。中国人の口からダライ・ラマへの親愛の言葉が聞かれるとは思いもしなかったのである。もしかしたら、彼女は広東から来たと言っていたが正確には香港の人だったのかもしれない。そう考えれば、大陸の洗脳教育に毒されていないこともうなずける。
そして、もう一つのことを考え始めていた。
ダラムサラ、か
現在チベットの亡命政府があるインド西北部の街であり、ダライ・ラマも今はそこに住んでいる。会うのは難しいかもしれないが、行ってみたいな ―― と。

「英語、読むのはうまいのに話す方はそれほどじゃないですね」
聞きにばかり回っていた私に、サトコがふと言ってきた。
「話すことに慣れていないんだよな。そう、中国で語学留学を始めたばかりの時もそうだったな…」
痛い指摘だった。これから回ろうと思っている国を考えると、英語は必須だ。中国語は留学期間中に集中特訓して、それでも話すことにようやく慣れてくるには数か月を要した。今回の旅の間に、英会話に慣れることが果たしてできるだろうか。

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