アトシュ ~のどかな衛星都市
2002年7月29日
午後の列車でウルムチに向かうことにしていたが、それまでまだかなりの時間がある。カシュガルに来たついでだ、近郊にあるアトシュを訪れてみよう。 私とMさんは、吐曼河を越えたところにある国際バスターミナル近くから、乗り合い乗用車(1人10元)でアトシュに向かった。
片側1車線の狭い道路を車で40分、アトシュの中心部にある公園に到着した。
車を降りた私たちの目に最初に飛び込んできた光景は、やや強烈だった。2人の男の喧嘩である。それだけならありがちな場面なのだが、この時は一方が興奮の余り、スコップを振りかざしだしたのである。幸い、周囲の人々が中に入ったお陰で大事には至らなかったが、あれ程激しい喧嘩は初めて見た。
喧嘩の現場を除けば、アトシュはのどかな街だった。予想以上に発展していたが、規模は小さい。恐らく、カシュガルの衛星都市的存在なのだろう。
街の向こうに目を向けると、ひだの付いたような山が、屏風のように広がっている。聞くところによると、先日トルファン1日ツアーで実損ねた火焔山もこのような山だという。あの時は残念に思ったものだが、これだけ間近に同様なものを見ることができるのだ。火焔山などもうどうでもいい、という気すらしてきた。
山も見えるアトシュの街並み
アトシュ市内にあるモスク
そして、これまで訪れてきた東トルキスタンの街同様、アトシュもイスラムの街である。近代的な建築物が並ぶ中、赤茶けたモスクがひっそりと建っている。また、街外れにはカラハン朝の王墓・スルタン・マザールもあるが、カシュガルで既に2つの墓を見学していた私たちは、敢えてまた同じような墓を見学しようとは思わなかった。
昼食には、焼きうどんのような東トルキスタン名物の1つ・ラグメンを頂いた。トマトを使ったソースがからめられていて、パスタ感覚で食べることができる。
東トルキスタンの名物料理・ラグメン
1皿でもかなりのボリュームで、大食いの私でも食べ切るにはかなり苦労を要した。
ふと食堂を見回してみると、柱に1枚の紙が貼ってある。そこには、漢語でこう書かれていた。
「当店での飲酒はお断りします」
東トルキスタンのイスラム教は戒律が緩めで、ホテル近くの売店でも普通にビールを買っていたので、すっかり忘れていた。
そう、イスラム教では飲酒が禁止されているのだ。こんな所にも、ここがイスラムの街であることの証があった。
それにしても、異教徒に対してもそれを要求していると取れる張り紙は、この店の経営者がかなり敬虔な信者であることを物語っていたのかもしれない。
カシュガルへの帰り道も、行きと同じように乗り合い乗用車を利用した。ただ、相乗りになったのが小学生の娘がいる夫婦で、普通のセダンに運転手も含めて6人が乗るという無茶な状況となった。過積載による事故が心配されたが、車は無事カシュガルに到着した。
しばらく時間を潰した後、私は再度ウルムチへ向けて出発した。敦煌からの付き合いとなったMさんとも、ここでお別れだ。
私はこの後、東へ戻るばかりだったが、Mさんはウルムチから国際列車に乗って、さらに西へ、中央アジアに向かうという。まさしく、私の憧れでもあるユーラシア横断の旅である。彼は果たして、どこまで旅を続けるのだろうか。
<後日談>
Mさんはその後、イラン、トルコなどを経て、エジプトまで到達している。
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