バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

東トルキスタン、大陸中国西北

トルファン―ウルムチ―カシュガル ~西の最果てへ

2002年7月25日

午後にウルムチを発つ列車に乗るべく、私は来る時と同様のバスに乗って、再びトルファンからウルムチへ向かう。ちょうどドミトリーで同室だった男性もウルムチに行くところだったので、行きは1人旅だったのに対して話し相手ができ、楽しい道中になった。
ウルムチに到着し、列車駅近くで昼食をとった後、その男性と別れる。15時14分、東トルキスタン(ウイグル)の大都市の中で最も西に位置するカシュガルに向けて、列車はウルムチ駅を滑り出していった。

ウルムチ―カシュガル間を走る列車は2階建てだったが、私のベッドのあるコンパートメントは車両の一番端、上下に分かれる階段の手前にあって、3段ベッドになっていた。最新車両であるにもかかわらず、普通の硬臥と同じ気分である。
このコンパートメントには、もう一つの“顔”があった。下鋪(ベッドの最下段)の下が、車内販売の品物の置き場になっていたのだ。幸い、眠い時に売り子に押しかけられることはなかったので、逆に列車乗務員の仕事振りを間近に見ることができて面白かったぐらいだ。
ただ、中の品物が無くなった段ボール箱の処理法には、閉口してしまった。漢人の売り子は空になった箱をたたんだ後、こともあろうに、それを窓の外に次々と投げ捨てていくのである。中国人の環境意識が低いことの表れなのだろうか。それとも、膨大な人口を抱える故の雇用確保のために、線路脇に清掃員がきちんと配置されているのでは、などとも勘繰ってしまった。いずれにしても、見ていて心地よい光景ではない。
一緒のコンパートメントになった母子はウイグル人。子供は小学生ぐらいの、明るく可愛い盛りの女の子だ。会話も弾み、実に愉快なカシュガルまでの24時間となった

2002年7月26日

9日前に中国・甘粛省に入って以来、車窓の景色は一貫して荒涼としている。“西の最果て”カシュガルに向かうにつれ、その景色は寂しさを増していくような気もした。

時刻表によれば、カシュガル着は2時半の予定だっが、実際に到着したのはそれから遅れること1時間の3時半になった。
規模の大きな駅では、列車を降りてから改札を出るまでに何分もかかるのが常だが、ここカシュガル駅は小さな駅だ。下車するとすぐ目の前に、改札口はあった。
以前、鉄道はカシュガルまで通じておらず、コルラ止まりだった。2年ほど前、ようやく鉄道が乗り入れたカシュガルの駅舎は、小さいながらも真新しく、モダンな造りだ。

列車駅からのバスは1路線のみ。東トルキスタン最大のイスラム寺院・エイティガール寺院行きのものだ。この寺院から私の目指すホテルは、徒歩でも十分に行くことができる。
ちょうど礼拝の時間だったのだろうか。寺院の前は一目でそれとわかる、独特の衣装をまとったイスラム教徒たちでごった返していた。
エイティガール寺院前
イスラム教徒で賑わうエイティガール寺院前
寺院わきの小道も、果物や日用品を売る屋台の熱気と、羊肉を焼くにおいに満ち溢れている。
これぞまさしく“イスラムの熱気”である。これ程までに濃厚なイスラムの熱気は、1995年にエジプトを訪れた時以来の体感だ。

寺院から歩くこと数分、目指すチニバーク・ホテル(中国名『其尼瓦克賓館』)に到着した。3人部屋1人40元と、ドミトリーとしては高めだが、エアコン付き、バス・トイレ各室設置と、条件は今回の旅で泊まったドミの中で一番いい。
また、このホテルからはパキスタン行きの長距離バスが出ているらしい。
荷物を部屋に降ろし、再度ホテルを出ようと門に足を向けると、漢語で書かれた1つの看板が目に入った。
カシュガルに来ずして新疆に来たと言うなかれ
「新疆」という呼び方が気に入らないが、内容はその通りだと思う。カシュガルほどウイグル・イスラムの雰囲気を体現している街は無いだろう。

到着が遅かったため、この日訪れたのはシルクロード博物館のみ。シルクロードの歴史が一目で分かるのでは ―― という期待をしていたのだが、館内は薄暗く、展示物も特別目を引くものは見当たらない。期待外れの博物館だった。

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