西安―嘉峪関 ~モダンさと”昔ながら”の古都
2002年7月16日
嘉峪関へ向かう列車は午前11時30分発。まだ時間はある。少し西安の街を回ることにした。
西安は、思っていた以上にあかぬけた街だった。中心街にはモダンなビルが立ち並ぶ。
鐘楼
しかし、城域の中心部にある鐘楼は、昔ながらの姿のまま、われ関せずといった表情で、そんな古都の変貌を見つめているかのようだった。
鐘楼から少し西に歩くと、イスラム街がある。しかし、幾ら国際都市とはいえ、西安も元より中国人の街。この後見ることになる東トルキスタンの街並みと比べるまでもなく、イスラムの雰囲気はそれ程濃くはなかった。
さて、そろそろ駅に向かわねば、と街中から戻ってきた。バスを降りてホテルに戻ろうとしたところで、不意に後ろから肩を掴まれた。
「おい、俺の手に鞄が当たったぞ!」
いかにも質(たち)の悪そうな男が、傷跡の付いた手を見せつけてきた。
[またこの類の異常者か]
昨年の夏に続いて、因縁を付けられた。しかし、今ぶつかったばかりの傷が縫合されているはずはない。こんな馬鹿野郎、相手にするだけ時間の無駄だ。しかし、無視して先を急ごうとしても、馬鹿野郎はしつこくつきまとってくる。
私は前回同様、中国語が分からないふりをして、日本語でそれに向かって罵声をたたきつけた。そうしているうちに、それは諦めて引き揚げていった。
前回は心身共にくたくたになったところで、この類の物にでくわして、中国人そのものが嫌になりそうになる程怒ったが、今回はもう慣れてしまって、怒る気もしなかった。むしろ、その心根の貧しさが哀れに思えた位だった。
バックパックを担いでホテルを出て、すぐ目の前にある駅に移動し、列車に乗車。嘉峪関へと旅立つ。 ここから先が、いよいよ正真正銘、シルクロードだ。
2002年7月17日
日が変わって車窓から表を見ると、前日とはうって変わって、砂漠の景色が広がっている。紛れもなくシルクロードの光景だ。
30時間にも及ぶ列車の旅を終えて午後4時、ようやく嘉峪関市に到着した。
駅から中心街へ向かうバスの中で、中国人の若い男性2人に声をかけられる。どうやら見ただけで私が外国人と分かったらしい。興味深そうにいろいろ尋ねてきた。
ホテルへ向かう前に中国銀行で換金。この日の相場は1万円=711元。数カ月前には1万円=600元程まで落ち込んでいたのが、久しぶりに700元の大台を回復した。
その後、雄関賓館という目をつけていたホテルに到着。ドミトリーに泊まろうとしたところ、この日はドミトリーの外国人客が無く、一番安い3人部屋を一人で占めることになった。本来なら77元のところを50元にしてもらい、チェックイン。少し休んだ後、ホテル近くの屋台街で夕食を済ませた。
ところがホテルに戻っても、電灯はつかない、テレビも、扇風機も動かない。停電だ。ようやく電気が戻ったのは9時半を過ぎてから。えらい不便を強いられてしまった。