大同 ~仏と龍と
2001年8月17日
太原から列車で1泊。大同の駅に到着した。
大同では宿泊せずに、当日夜の列車でそのまま北京に行くことにした。そこで北京への列車の切符を買い求めようとしたが、切符売り場では「没有」の冷たい一言が返ってくるだけだった。仕方ない。旅行社を通じて買うか。駅構内に旅行社があるはずだが、どこだろうか、と、うろうろしていると「日本人ですか?」と中国語で1人の男が話し掛けてくる。どうやら、旅行社の職員らしい。ちょうどいい。向こうから来てくれた。私は彼に案内されて旅行社の事務室に入り、列車の切符の購入代行を願い出た。
まず足を向けたのが、大同一の見どころ・雲崗石窟だ。
雲崗石窟は、大同市街の西郊外に位置する、これまた世界遺産に登録された、1500年の歴史を誇る仏像群だ。その数は、大小合わせて5万を超える。
雲崗石窟
雲崗石窟第20窟
楽山大仏以来、感動することを忘れていた私の心が、久しぶりに動かされた。その数、その美しさ、その保存状態の良さ ―― どれも驚嘆させられるばかりだ。私のように信心が無い者でも、その芸術価値だけで見るに値する。
最初に訪れた第4窟の大仏を見た段階で、私はすっかり魅せられてしまった。ここで記念写真を撮りたいと思ったところへ、一眼レフを持った中国人男性が歩いてきた。私は彼にお願いして、そこで写真を撮ってもらった。
その後も、大仏や、無数の小仏の群像など、無数の芸術群が続いたが、やはり目を引いたのが、雲崗のシンボル・第20窟だ。岩の庇の下に座り、柔和な表情をした淡い褐色の大仏は、天の下の人々を、優しく見守っているかのようだった。
雲崗石窟から、私は1時間ほど歩いてみた。その先には観音堂があり、門前には三龍壁がある。北京の故宮や北海公園で九龍壁は見たことがあるが、この壁には文字通り、3匹の龍が刻まれている。数の違いが何の違いであるのか、私は知らないのだが、3匹だけというのは、少々寂しい気もするが、逆にこれはこれですっきりしていていいような気もした。
三龍壁
古代の砦跡
また、観音堂の近くには、古代の砦跡がある。この辺り一帯が、かつて中原の漢民族と北方の異民族との戦いの最前線であったことを物語る遺址だ。
五龍壁
ここから中心街は、さすがにバスを利用した。中心街に戻ってまず訪れたのは善化寺。 ここには龍が5匹の五龍壁がある。参観者は、普段から少ないのだろうか。この時も私1人で、寺の職員が案内をしてくれた。
さらに、街のほぼ中心部には、九龍壁がある。北京・北海公園のものに比べれば配色こそやや地味だが、それでも金色の龍が9匹ずらりと並んだ様子は見事だ。
ただし、ここは切符売り場の服務態度が極めて悪かった。愛想が無いことや、「小銭は無いのか?」と言ってくることは、当時の大陸中国ではよくあることだった。しかし、わざわざ人の財布を覗いて「小銭あるじゃないの!」と言ってきたのには、正直、むっとさせられた。
九龍壁
鼓楼
このほか、大同には、九龍壁の近くに鼓楼がある。しかし、これも昨日見た楽山大仏同様、派手に赤く塗り直されていて、私が以前本の写真で見たことのある、古めかしい雰囲気は無くなってしまっている。街全体が落ち着いていて昔ながらの雰囲気を漂わせているだけに、この派手な鼓楼は、大同の街並みから浮いているような印象を受けた。
大同駅に戻り、先程の旅行社へ。北京行きの切符は、無事取れていた。しかも、私の一番好きな中臥(3段ベッドの真ん中)である。中臥が残っているのに、なぜ切符売り場で「没有」だったのか、少々疑問が残ったが、ともかく、これで北京に行くことができる。発車時刻を待って、列車に乗り込んだ。