楽山大仏 ~失われた古き良き趣
2001年8月15日
早朝、交通飯店近くのバスターミナルから楽山大仏へ向かう。
昨今、中国の道路事情は日増しに改善されており、各地で高速道路網が充実してきている。成都―楽山間にも高速道路ができており、2時間程度の快適な道程でたどり着くことができた。
楽山大仏は、唐代、岷江のほとりの断崖に刻まれた、身の丈70mの世界最大の大仏だ。身の丈70mとはいっても、座像なので、これがもし立ち上がったとしたら100mを裕に超すことであろう。
山道を少し登ると、大仏の巨大な頭が見えてくる。さらにそこから石段を降りると、大仏の足元にたどり着く。そこから見上げる大仏の姿は、実に圧巻だ。それ程高い所にある訳ではないのに、天下を見下ろしている、という表現がぴったりとくる。
鮮やかに彩色された楽山大仏
しかし、従来抱いていたイメージとは異なった大仏の姿に、私は期待を裏切られた。以前写真などで見たことのある大仏は、灰色がかっていて、苔むした、時代を感じさせる姿をしていた。しかし、私の眼前にそびえる大仏は、実際の人間とほぼ同じ配色で、鮮やかに彩色されていたのだ。
楽山大仏が修理されていることは、報道などを通じて既に知っていた。しかしそれは、老朽化のための補修にとどまるものだと、私は考えていた。然るに、そこにあったのは、古き良き趣を欠いた、変わり果てた姿だった。
確かに中国は、割合平気で歴史的文物に手を加えてしまう。しかし、世界遺産に登録されているものまで、これ程に手を加えていいものなのか。
[ただ大きいだけだ]
期待していただけに、失望感も大きかった。
それはともかくとして、今日は日本の終戦記念日。ちょうどいいところに大仏がある。私はそこで(戦争責任者以外の)戦没者に祈りを捧げた。
楽山大仏からそれ程離れていない所に“仙人の山”峨眉山がある。体調が体調なだけに、登山は無理だが、一目見たい気がした。バスに乗って、取りあえず峨眉山バスターミナルにたどり着いた。
しかし、天気は生憎の曇り。期待していた山の姿を拝むことはできなかった。
成都に戻ってしばらく時間を潰した後、私は太原に行くべく、空港へ向かった。ところが、待合室で出発を待っていると「遅延」のアナウンスが流れてきた。
[またか ―― ラサに続いて、2回連続だ]
幸い、今回は20分で済んだ。私は9日ぶりに四川省を離れ、本来なら数日かけていく予定だった道程を、2時間足らずで一気に飛びぬけた。