成都-4 ~危険信号点灯
2001年8月13日
チベットに属する九寨溝・黄龍と成都の間はかなりの距離だ。帰るだけでも時間がかかる。朝出発して、午後3時、ようやく成都の交通飯店に戻ってきた。ツアー客の中にも、交通飯店に泊まる一団があった。しかし、私は彼らを放っておいて、一人でドミトリーにチェックインを済ませ、そそくさと部屋に向かった。
[やっと解放された…]
中国人との交流を楽しんできた旅の前半と比べ、随分な変わりようだ。
成都に戻ったところで、旅の次の段階へ向けて動き出した。この後、私は山西省の平遥と大同を訪れるつもりでいた。しかし、成都から山西省へ列車で向かうとなると、2泊3日の長旅になる。今の私の体調を考えると、少々辛い。
(途中でどこかに寄り道するか)
地図や時刻表を見ると、ちょうどいい所に陝西省の宝鶏がある。宝鶏は三国志の古戦場・五丈原が近郊にあることで有名だ。よし、ここにしよう。私は早速、宝鶏のすぐそばにある西安までの切符を求め、成都駅に向かった。
ホテルを出てバス停に向かおうとすると、後ろから私の名を呼ぶ声が聞こえる。日本語の女性の声だ。チベットで一緒になった女の子だろうか、などと考えながら振り向いた私は、声の主を見て「あれ!」と思わず大声を上げてしまった。そこにいたのは、大連の東北財経大学で、班こそ違うものの一緒に中国語を学んでいる同学の姿だった。
まさか大連からこんなに離れた街で偶然出会うとは ―― 「中国は広い」というのは自明のことであるし、私も常々感じている。その中国で「世間は狭い」などと思おうとは、予想だにしていなかった。
さて、西安行きの列車の切符であるが、人気の観光コースだけあって、なかなか手に入りにくい。希望の車次のものは買うことができず、臨時列車の切符をようやく入手することができた。しかし、出発時間は夜中の12時過ぎ ―― それまでどうやって時間を潰すか、思案のしどころだ。
2001年8月14日
しかし、風邪がまだ治りきらない様子だ。体の調子が良くない。精神的にもやや沈み気味だった。この体で余りあちこち精力的に回るのはまずい気がしてきた。
[早く大連に戻りたい…]
ホームシックなど、これまで全く無縁だった。その私が早く帰りたいなどと思うようになったということは、危険信号が灯り始めた証拠だ。宝鶏はもうやめよう。しかし、山西省には足跡を残しておきたい ―― 私は、昨日買ったばかりの西安行きの列車の切符を払い戻し、飛行機で山西省の太原へ向かうことに、計画を改めた。
まずは交通飯店近くの航空券売り場に出向き、太原への足を確保することにした。
本当は飛行機など使いたくない。夏休みはたっぷりあるのだし、鉄道やバスで行くことが可能な所へ飛行機で向かうというのは、バックパッカーの禁を破る気がしたからだ。そして一番の理由が、価格の高さだった。成都→西安、西安→太原の列車代が合計で300元程度なのに対し、成都→太原を飛行機で行くとなるとノーマル運賃で1050元もかかる。
しかし、ここで威力を発揮したのが留学生証だ。夏休みと冬休みの時期に限り、中国の国内線は4割引の学生割引がある。それは、中国人のみならず、海外からの留学生からも適用される。果たして、成都→太原の航空券は、620元で買うことができた。
購入の際、学生証のコピーが2枚必要だと言うことで、いったん外に出る手間を患ったものの(なぜ航空券売り場でコピーができないのかという疑問は残ったが)、太原への足は確保できた。私はその後、成都駅で列車の切符を払い戻した。