成都-2 ~杜甫、三国蜀、麻婆豆腐
2001年8月8日
成都は四川省の中心都市であり、古くから歴史の舞台となっている。
杜甫詩堂の杜甫像
歴史を感じさせる旧跡の一つが、杜甫詩堂だ。杜甫は詩聖と呼ばれる、唐の時代の詩人であり、安史の乱の戦火を避けて成都に逃れてきた。その時の住居跡に建てられたのが、この廟である。
敷地内には四川らしく、無数の竹が育っている。建物は質素で古めかしく、“詩聖”の住処にふさわしい落ち着きを醸し出している。ここを訪れるのは、観光客ばかりではない。地元の成都人たちもここを憩いの場としており、おしゃべりをしたり、お茶を飲んだりしながら、のんびりと時間を過ごしている。
杜甫にあやかって詩でも一首 ―― とでもできたらおしゃれなのだが、ただでさえ詩心の無い私には、漢文の詩をひねるなどということは、残念ながら無理だ。この場所の雰囲気を味わうだけに終わったが、それだけでも十分に楽しむことができる。
成都のもう一つの歴史の顔は、三国時代の蜀だ。この時代、劉備と諸葛亮は、自らの根拠地を定めるため、この地を治めていた劉璋を追いやって入蜀した。
劉備の墓を中心に建てられた劉備廟と諸葛亮廟が、武侯祠である。
武侯祠。建物内に見えるのが劉備像
それぞれの祠の中に、劉備と諸葛亮の金色の像があったり、劉備・関羽・張飛の塑像が置かれたりしているが、曹操シンパ、魏シンパの私にとっては、関心はあっても、やはり感動は沸いてこない。それどころか、祠内の博物館で、日本のNHKで放映されていた「人形劇三国志」で使われていた諸葛亮の人形を見た時などは、目まいに襲われすらした。
と言うのは、数ある三国志作品の中で私が最も嫌いなのがこの「人形劇」なのだ。曹丕に帝位を禅譲した献帝をそのまま死なせたり、呂蒙に民衆を虐殺させたりするなど、歴史事実の歪曲がこれ程甚だしい作品は無い。また、人形の費用をケチってか、例えば夏侯惇と夏侯淵、関平と関興をそれぞれ同一人物にさせたりと、かなりいい加減な作り方だ。子供の頃は喜んでみていたが、今となってはもう二度と見たくない。
歴史散歩を終えてホテルに戻った私は、同室になった日本人を誘って食事に出かけた。
四川と言えば四川料理。四川料理と言えば麻婆豆腐。麻婆豆腐と言えば陳麻婆豆腐店だ。私たちはその店で、麻婆豆腐と、やはり四川料理の魚香肉絲を頼んだ。
陳麻婆豆腐店の麻婆豆腐
旅に出る前、私が「成都行ったら陳麻婆豆腐店の麻婆豆腐をぜひ食べてみたい」と言うと、友人たちは「唇がしびれる」「腹を壊すぞ」などと言って脅した。確かに辛い。唐辛子と山椒がピリピリとする味だ。1人で1皿を全部食べるのは無理だっただろう。しかし、私ももう1人の日本人も、かなりの辛党だ。2人で1皿をほとんど何の苦も無く平らげることができた。
確かに、味はいい。繁盛もしている。しかし、服務態度は結して良くない。「レトルトの麻婆豆腐を買え」と、しつこい程言ってくる。連れの日本人などは、支払いの時の態度の悪さに、服務員の手から金をもぎとるように取り返した位だ。
名店ゆえの驕りがあったとしたら、残念だ。いくら人気があっても、あの態度が全店的なものだとしたら、いつかそっぽを向かれかねない。(現に私は、チベットのゴルムドで何人かの日本人と食事に行った時、余りの服務態度の悪さに、席に座って1分とたたないうちに店を出てしまったことがある)