バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

大陸中国・重慶―三峡―赤壁

出港 ~3等船室にて


乗船予定の船は夜の8時から乗船、10時の出港。しかし、待合室は7時には既に満員となっていた。 ケーブルカー
待合室から船へと客を運ぶケーブルカー
乗客のほとんどが中国人。外国人は数えるほどしかいない。当初予定していた昭君号のような豪華客船とは違うタイプの船のようだ。人民の移動の足が、ついでに観光地にも立ち寄るといったところか。
8時になって、乗船のゲートが開かれた。
その先には、横長の大きな箱が待っている。川面より一段上にある待合室から、乗客を船へと運ぶケーブルカーだ。これに乗り込むことで、三峡への第一歩が踏み出された。
私が乗船したのは「嵩山」という名の、取り立てて目立つところもない、ごく平凡な客船だった。
私の“住処”となった3等船室は、最上階に当たる第3楼に位置し、2段ベッドが3つ並べられた、鉄道で言えば硬臥のような部屋だ。同室となった他の5人は、いずれも私より年輩の中国人。中には女性も1人いる。同じ部屋に男女ごっちゃというのは、鉄道のコンパートメントと同じ。ここはホテルではなく、あくまで交通機関なのだ。
10時を待たずして、乗客が揃ったのだろうか。船は、予定よりも1時間早く、午後9時に出港した。
ベッドでごろごろしていると、部屋に1人の青年が入ってきて「Hello」と私に語りかけてきた。
彼は、ツアーコンダクターだった。「私たちのグループと一緒に、観光地巡りを楽しまないか」と誘ってくる。
どうやら、私が買った切符は単なる乗船券で、これだけでは観光地巡りできないようだ。いくら3等船室とはいえ、230元で三峡巡りは安すぎると思った。私は別料金100元を払って、そのツアーに便乗することにした。
立ち寄る場所は、豊都、石宝寨または張飛廟、小三峡。石宝寨と張飛廟のどちらに行くかは、この時点では明らかにされなかったが、私としては、三峡ダムの完成後、移転されることもなく消えゆく、異彩を誇るあの建造物・石宝寨を見たい気持ちが強かった。しかし、こればかりは運を天に任せるしかない。
再び2段ベッドの上段で横になっていると、何やら体が異常を訴えかけてきた。
[気分が悪い・・・]
今まで経験したことが無く、それ故に、自分にはあり得ないと思っていたこの症状――おそらく、船酔いだ。麻婆豆腐、担々麺、青椒ピータンと、濃い味のものばかり食べてきたツケが回ってきたのだろうか。恐ろしい吐き気だ。船の最上階で、しかも2段ベッドの上臥だったのも災いしたのかもしれない。あわてて船室から表に出て、胃の中にあったものを長江に吐き出した。
15分ほど表の風に当たりながら何度も嘔吐を繰り返し、ようやく気分の悪さも治まって、船室へともどった。しかし、年代も違い、コミュニケーションもなかなか上手くとれない中国人の集団の中にいたこともあって、少々ストレスを感じてしまった。それでも、ようやく三峡の旅が始まったこと、ようやくあのごみごみとしていて、ろくなことが何一つ起きなかった重慶とおさらばすることができたことは、私の心を少しだけ軽くしてくれた。

<後日談>
その後、中国・大連に移住して留学生活を送っている間、船の上ではないが、何度か吐き気を催した。よくよく考えてみると、ピータンを食べた後は必ずといっていい程、吐き気に襲われる。
はっきりしたことはまだ分からないのだが、どうやら私はピータンに対してアレルギーがあるようだ。三峡での嘔吐も、もしかしたら船酔いではなく、ピータンアレルギーのせいだったのかもしれない。

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