台北-3 ~親日の国・台湾
烏来から台北に戻ったところで、台北駅すぐそばの線路と中山北路の交差部分近くにある国父史蹟紀念館を訪れた。(一昨日もすぐ近くを通ったはずなのだが、見過ごしていた)
「国父」とは、辛亥革命で中華民国を建国した孫文のこと。中華民国=台湾は勿論のこと、大陸でも孫文に対してこの敬称が用いられている。
この紀念館は、辛亥革命後の1913年、1914年に彼が宿泊した日本式旅館であり、彼ほどの大物が利用したとは思えないほど質素である。
国父史蹟紀念館
孫文の人となりがそうだったのか、はたまた当時はまだ孫文がおおっぴらに行動できない情勢だったのか…。
紀念館内部は孫文に関する博物館になっている。
中国が台湾と大陸に分裂してしまっている現状を、孫文は天の上からどう思っているのだろうか。
孫文関連ではこのほか、国父史蹟紀念館から東へ3.5kmほどの場所に国父紀念館もあるのだが、なぜか行きそびれてしまった。
夜になって、宿近くのレストランで食事をした。
食後にふと、中国語を公用語にしている地域に来ているにもかかわらず、まだほとんど中国語を使っていないことに気づき、帰り際にレストランのオーナーが話しかけてきた際に少し使ってみた。
「很好喫!(おいしかったです)」
すると、私が日本人であることを知っていたオーナーは嬉しそうに、まずは「北京語話せるんですか!」と日本語で答えた後、
「明天你做甚麼?(明日は何をしますか)」と中国語で尋ねてきた。私は、
「明天我回日本(明日は日本に帰ります)」と答える。まだ留学前で中国語を使うチャンスがほとんど無かった私にとって嬉しい機会だった。
「日本人だから」ということで招かれざる客も来た。
食事を終えて宿に戻り、部屋で休んでいるとノックの音。扉を開けると女性従業員?が立っていた。妙な笑みを浮かべながら、日本語で話しかけてくる。
「可愛い娘、いますよ」
何のことかは、言うまでもないだろう。丁重にお断りして帰ってもらった。
悲しいと言うか情けないと言うか、安く女を買うことを目的に台湾ほかアジア諸国に行く輩も少なくなく、そのために日本人の男と見るとこう言ってくるのだろう。しかし、台湾を含め、世界のほとんどの国で売春は法律で禁止されているのだ。"旅の恥はかき捨て"のノリでこういうことをするのは、厳に慎むべきである。
翌5月2日、私は日本への帰途に就いた。
*
台湾という所に対して抱いた印象は、
日本人にとって一番居心地がいい外国
というものだった。日本語がかなり通じるし、対日感情も、日本による植民地支配を受けていたとは思えないほど良好だった(これについては、ものの本によると『日本の植民地支配から脱した後に来た国民党の支配が余りに苛烈で日本統治時代を懐かしむ人が少なくなかった』ことが一因のようである)。台北の街に、日本の都会にかなり近い雰囲気を感じたこともその理由の一つである。
しかし、余りに日本的な外国は、バックパッカーにとっては魅力的ではない。今後はもっともっとカルチャーショックを受けるような旅をしていきたいものだ。
コメント(0)
コメントする