台北-1 ~"中華民国"に入国
1999年4月29日
名古屋発台北行きの便は昼ごろの出発だったが、フライト時間は僅かに3時間ほど。まだ明るいうちに台北に到着した。
入国審査を終え、手元に戻ってきたパスポートを見ると、15日間のビザ無し渡航(現在では90日の滞在が可能)を認めるパーミッションのスタンプと、「中華民国」の国名が入った入国スタンプが押されていた。
中華民国は、辛亥革命後の1911年に建国された中国初の共和制国家だ。第2次大戦後の国共内戦で中国共産党(以下『中共』)が中国のほぼ全土を占拠して1949年に中華人民共和国を樹立したが、中華民国は今でもここ台湾で生きているのである。
台湾は中国の一部か、独立国か ―― 国内外で意見が分かれているところではあるが、こうして入国スタンプに、そして台湾のパスポートの表紙にも「中華民国」と記されている以上、少なくとも台湾が中華人民共和国の一部というのは余りにも無理がある。
景福門
空港を出て中心街に入り、中山北路近くの宿にチェックインした後もまだ辺りは明るい。身軽にして再び街中に繰り出す。
中山南路をそのまま南へと進み、台北駅の横を通り過ぎて中山北路に入って暫くすると、交差点のロータリーに景福門が建っている。規模はともかくとして、ソウルの南大門や中国・西安の鼓楼と少し似た風景だ。
この近辺には、日本の植民地時代に台湾総督府として造られた総統府や、台北新公園、中正紀念堂などがある。
中でも印象に残っているのが、蒋介石を記念して建てられた中正紀念堂(『中正』は蒋介石の本名である『蒋中正』が由来)である。
蒋介石は、抗日戦争時代に国民党を牽引(ただし、日本軍よりも中共を目の敵にしていた)し、台湾に逃れた後も最高指導者として君臨したが、次第に独裁者としての色合いを強めていく。
正直、私も蒋介石に対しては余りいい印象を持っていない。しかし、中国全土に一度ならず大混乱を招いた毛沢東に比べればはるかにマシである。
中正紀念堂
話を中正紀念堂に戻そう。
紀念堂は、青屋根の白い門をくぐり、2つの朱塗りの御殿に挟まれた通路の先にある。門と同じ青屋根に白壁の、そう大きくはないが立派な建物だ。内部には蒋介石の銅像がある。
戒厳令の時代には、蒋介石はこうして建国者として敬意の対象となっていたようだが、戒厳令が解かれ、複数政党制になり、そして彼に対する評価が賛否両論である今、この紀念堂もこのまま存続されていくであろうか。
<後日談>
民進党の陳水扁政権時代、中正紀念堂は「台湾民主紀念館」と改称され、蒋介石の銅像も覆い隠された時期がある。
辺りが次第に暗くなってきた。ここぞとばかりに、私は台北駅近くの新光摩天楼へと向かった。
新光摩天楼は高さ244mの、台湾随一のノッポビル。46階には展望台があり、台北の街を一望することができる。
エレベーターで一気に展望台へ。眼下には台北の美しい夜景が広がっている。
夜景と同じくらい印象に残ったのが、夜景を見つめる開放的な台湾人カップル。そう言えば、大陸の方でも人目をはばからないカップルを何度も目撃したことがある。漢民族の民族性なのだろうか…。
気がついてみると、夕食がまだだった。屋台村や夜市があるという、台北駅北側の圓環に出向いてみた。
しかし、屋台は少なく、人通りもまばらで、すっかりさびれてしまっていた。がっかりした私は、場所を替えて無難な食堂で夕食をとることにした。
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