北京・周口店、盧溝橋 ~北京原人と日中戦争
1998年9月1日
前日のうちに南モンゴル・フフホトから再び中国・北京入り。北京の宿は越秀大飯店に取る。地下鉄駅の目の前という、交通アクセスの抜群の良さだ。
バスとタクシーを乗りついでまず訪れたのは、北京市の南西郊外にある周口店猿人遺址。世界史を塗り替える大発見となった北京原人の里だ。
博物館の展示はそれなりに面白かった。しかし、原人の住家の遺址は、どう見ても単なる洞穴で、彼らの生活の臭いなどを実感するまでには及ばない。当時の気分に浸るには、原人の物まねでもする位しか思いつかない。
この日のメーンはやはり盧溝橋。マルコ・ポーロが賞賛し、そして最近では、日中戦争の火ぶたが切って落とされた場所だ。
盧溝橋全景
しかし、そこまで行くのに苦労させられた。流しのタクシーは相手にしてくれない。バス停は無いかと、とぼとぼ歩いていると、白いタクシーの運転手が「どこへ行くんだ」と声をかけてきた。普段なら向こうから声をかけてくるタクシーなど相手にしないのだが、手段が見つからないのだから仕方がない。「盧溝橋まで行きたい」と言うと、10元で行ってくれるというので、ありがたく乗せてもらうことにした。
盧溝橋の欄干の獅子像と弾痕
私が行った時は、川の水が干上がっている上に、露わになった川底にブルドーザーが停まっていたりして、やや景観を損ねているきらいはあった。しかし、盧溝橋の端整な造りを目の当たりにした私は「やっとたどり着いた」という感慨もあってか、素直に感動することを禁じ得なかった。遠くから見た前景が見ごたえあるのは勿論、橋の欄干に並んだ獅子の石像を近くから見ると、また新しい感動が生まれる。しかし、その欄干には、この橋のもう1つの顔が刻まれていた。
そこにあったのは、幾つもの弾痕 ―― そう、日中戦争の爪跡だ。そして盧溝橋の近くには、ここが日中両国の「不幸な歴史」の舞台であったことを物語る、もう1つの場所がある。中国人民抗日戦争紀念館だ。
南京大虐殺紀念館の時と同様の緊張感を感じながら入場する時、入り口の青年に、穏やかな口調で「どうぞ」と、日本語で言われた気がした。
館内の展示品はおぞましいもので、さすがの私も目をそむけたい気分なった。ただし、それは日本人としてではなく、1人の人間としてだ。中国人の遺体が累々としている写真や、七三一部隊に関する展示、その他諸々 ―― 激しい嫌悪感を覚えた。
中国人がこのことにこだわるのは、ある程度仕方がない。しかし、中国人側、日本人側、いずれの立場にせよ、その感情は過去への怨嗟であってほしくはない。「過去の不幸な歴史に対して、目をそむけたり、誤魔化したりしては絶対にならない」のは間違いないが、これからの私たちにとって必要なのは、この史実を未来への戒めとして、語り継いでいくことではないだろうか。(※)
※すっかり反中国共産党・反中華人民共和国になった今でも、過去の歴史に対する認識は上記のものと変わっていない。