フフホト・昭君墓ほか ~民族対立の悲哀
1998年8月31日
昼の便で中国・北京に飛び立つ前に、まだ少しばかり時間がある。フフホト近くの見どころをもう少し回ってみよう。草原ツアーのタクシーとの契約がまだ切れていなかったので、昨日と同じ車で、博物館と昭君墓を巡る。
南モンゴル博物館(内蒙古博物館)では、モンゴル民族の歴史と習俗を知ることができるほか、ゴビ砂漠で見つかった恐竜の化石などが特徴的だ。入り口をくぐると、巨大な恐竜の全身の化石が来客を迎える。これもまた、モンゴルの自然の姿の1つだ。
昭君墓は、中国4大美女の1人、王昭君の墓である。
昭君墓
市街から南へ離れた所にあるこの墓は、小高い丘の上に廟のようなものが立てられており、丘の手前には馬に乗った王昭君と匈奴の単于(王)の銅像がある。
王昭君は、中国西漢の時代、漢と対立していたモンゴル高原の匈奴との懐柔政策のために、漢皇帝が匈奴の単于に嫁がせた女性だが、自ら進んで申し出たとも、人選のために似顔絵を描く際に画家に賄賂を贈らなかったばかりに、醜く描かれて選ばれてしまったとも言われており、今なお悲哀をもって語り継がれている。
―― そう、ここは古の時代、中国の人々に「塞外」と呼ばれていた、万里の長城の(中国から見て)外側なのだ。草原を見た時点でその事は実感していたのだが、歴史的・政治的な観点からそのことを実感すると、また違った印象を受ける。
名残惜しいが、中国・北京へ飛び立つ時間になってしまった。空港にたどり着く最後まで、旅行者の車のお世話になる。
来る時同様オンボロな機体に身を任せて、再び北京に戻る。
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