カイロ-1 ~砂漠と都会とナイルと
1995年6月20日
ソウル発の大韓航空便はこの日午前、カイロ国際空港に到着。
カイロ国際空港は砂漠の中に建てられていて、荒涼とした景色の中でのランディングとなった。
[これが…砂漠か]
砂漠を見るのは、これが初めてだった。青空と照りつける太陽の下、ほぼ全てが黄色である。その荒涼とした姿もさることながら、遥か向こうの地平線まで続くその規模の大きさが、人を寄せ付けない威圧感のようなものを見せ付けている。
飛行機を降り、皆がイミグレーションを抜けて空港から出ていく中、私は別室へと向かった。エジプト国際空港ではアライバルビザを取ることができると聞いて、日本で大使館に行く手間、旅行社にビザ取得代行をお願いして手数料を払う無駄を省こうと、日本でビザを取ってこなかったのだ。
別室でアライバルビザを取得したのは、私を含めて僅かに3人。しかも、あとの2人もラフな格好の若い日本人だった。2人はケイコ、タクミという男女で、カイロの後はボランティアでイスラエルに向かうという。カップルという感じではなかったが、気の強いケイコにのんびりとしたタクミのコンビは、あたかも姉さん女房・かかあ殿下の夫婦のようにも感じられた。
手元に戻ってきたパスポートを見ると、アライバルビザは手数料の15£E分の印紙が貼られてその上に査証番号が入ったスタンプを押しただけの簡素なものだった。
<後日談>
この旅行記を書くに当たって調べたところ、カイロ国際空港でのアライバルビザは入国審査前にある両替を行う銀行で上記の印紙を買って自分で貼り付ければいいはずなのだが、私は別室に行って取得した記憶がある。随分前の話になるので、記憶違いなのかもしれない。
さあ、これでエジプトに入国である。と、私たちのような個人旅行者をてぐすね引いて待っていたかのような、と言うよりもまさしくそのものの男が私たちに声をかけてきた。どうやら、地元の旅行社の者のようである。
車の中から見えたカイロの街
「私がエジプトをご案内しますよ。あなたたちからのリクエストがあれば、それにお応えします」
私は尋ねてみた「アレキサンドリアにも行ってくれる?」
「はい」
旅行期間が極めて短く、効率よく巡ることを必要としていた私にとっては願ってもない申し出だった。この日の夜にはイスラエルに向けて出発するケイコ・タクミの2人もこの日の夕方まではギザ等を回りたいとのことで、一緒に行くことになった。
旅行社の男が運転する車に乗って、空港からまずカイロの街へ。砂漠の風景はすぐに街の風景へと変わっていく。近代的なビル群はここがエジプトの首都であることを、その中に建つモスクやミナレットはここがイスラム文化圏であることを、道路標識のアラビア語はここがアラブであることを物語っている。
やがて車は、カイロの街をそのまま通り越して、エジプトを育んできたナイルを渡る。ケイコ・タクミがこの日限りということもあり、カイロは後回しにしていきなりメーンイベントのギザへと向かう。
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