蘇州、上海 ~「東洋のヴェニス」と上海動物園
1991年4月6日
上海から日帰りで、蘇州を訪れた。
「東洋のヴェニス」蘇州の運河
拙政園
蘇州は、「東洋のヴェニス」とも呼ばれる街だ。そのゆえんは、街中を流れる運河にある。
幅10数メートルの川の上を、小船が行き交う、ゆったりとした、いい雰囲気の街だ。
虎丘の斜塔
(街から少し離れた所に行けば、本格的な京杭運河も見られるのだが、日帰りで余り時間もなかったので、そこまでは行けなかった)
街中には、寒山寺などの古刹や、留園、拙政園などの庭園が点在しており、街全体を落ち着いた、美しい雰囲気にしている。
中心街から少し離れた所に行くと、虎丘(春秋戦国時代の呉王・闔閭の墓)などもある。
拙政園を訪れた時のことである。
「入場料1元」と書いてあるので、窓口のおばさんに1元札を渡すと、「8元だ!」と言う。
中国では観光地の入場料や列車料金に”外国人料金”があり、中国人の2倍以上払わされる。貨幣にも人民幣と外賓幣が当時あった位だ。(もっとも、日本人旅行者は、顔立ちが似ているのをいいことに、外賓幣を人民幣に「チェンジマネー」して、人民料金で支払うことも多い)。外国人料金を請求されることにはもう慣れっこになっていたが、8倍も請求されたのは初めてであり、さすがにこれには、閉口した。
1991年4月7日
帰国前日、帰りの便が朝早くのため、空港近くのホテルに移動した。
愛敬一杯、上海動物園のパンダ
荷物を置いて、まずは近くにある上海動物園に行った。
パンダ目当てに、至る所で動物園を訪れたが、ようやく(雑技を除いて)動くパンダにお目にかかることが出来た。やはり愛敬一杯で、観衆も大喜びだ。
その後、土産購入などのため、上海市街に戻った。
人でごった返す南京路などを歩きながら、感慨にふけっていた。
―― 明日で帰国
全てが快適、という旅では、決してなかった。不快な思いをさせられたことも多かった。
住みなれた日本に帰れば、言葉にも不自由しない、食べ物も口に合う。 実家の家族に、友人たちに、愛する人に、会うことも出来る。
なのに、まだ帰りたくない、もっと中国大陸をあちこち歩き回りたい…。
名残惜しい気持ちで一杯だ。
それでも明日で、帰国である。
1991年4月8日
虹橋空港で、早朝の大阪行きの便に乗り込んだ。
飛行機が離陸し、上海の街が、中国の大地が、眼下に小さくなっていく。
またいつか、来てみるかな。
<後日談>
その後私は何度も中国を訪れ、ついには血迷って中国生活をするにまで至るが、2007年を最後に中国にはもう訪れたくないと思うようになる。