バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

香港―大陸中国南部

上海-1 ~豪奢な1日

1991年4月3日

ここまでは貧乏旅行をしてきたが、たまには優雅な旅もよかろう、と杭州から上海へは中国随一の豪華列車に乗る。
ふかふかのシートに床には絨毯。
コーヒーのサービスまで付いていて、今回の旅で味わったことのない快適さだった。 南京路
上海の中心街・南京路

上海に到着して、タクシーでお目当ての安宿・浦江飯店に向かったが、どうやら、遠回りされたようだ。
浦江飯店は、あのガーデン・ブリッジのすぐ隣にあるホテル。やたらに広い部屋にベッドだけ30も並んだ多人房(ドミトリー)であり、さながら、怪我人のいない野戦病院、といったところか。

後日談
浦江飯店のドミトリーは2005年に廃止された。

上海に来たからには、やはり上海雑技団だ。市中心部の会場へ行き、翌日の前売券を買った。ところが、切符を買うや否や、ダフ屋が追いかけてくる。汚い日本語を浴びせながら、振り切るのにかなり苦労した。

ホテルに戻ると、ぞろぞろと若い日本人旅行者が集まり、「みんなで食事に行こう」ということになって、留学中の女子大生も含めた11人で繰り出した。

近くにある高級ホテルのレストランで、バイオリン等の生演奏を聴きながら、まさに、優雅な”ディナー”。その後、黄浦江を左手に、租界(バンド)を右手に、夜の外灘(ワイタン)を散歩。中国でありながら中国でない、そんな異国情緒を感じた。
そして、女子留学生の案内で、やはりそんな雰囲気一杯のバーに入る。
薄暗く、ジャズが流れる中、バーボンのグラスを傾ける…。やはり、今まで見てきた中国とは違うが、これが“上海”なのかもしれない。

談笑しているわれわれに、2人の西洋人が近づいてきた。
「私たちは、ロシアの船員だ。船に乗りに来ないか?」などと話しかけてくる。もちろん、そんな危ない橋を渡るわけがなく、私たちは一笑に付したが、何かドキドキとした興奮のようなものも覚えた。

バーを出ると、急に腹が減ってきた。どうやら、桂林で患った食中毒で食事をおとなし目にしてきた反動か、食欲が一気に甦ってきた。
これもまた、中国らしからぬ、ケンタッキー・フライドチキンでテイクアウト。
「よく食べますね」と女子留学生の1人が、感心したような呆れたような口ぶりで言う。それをきっかけに、久しぶりに女性との会話が弾んで、心が浮き立った。

女性といえば、今まで見てきた中国の若い女性は、色気のかけらも感じられなかったのだが、上海っ娘は、化粧もファッションもかなり洗練されていた。
やはり上海は、他の中国の都市とは、違う。

この日は、これまでの旅からすると、かなり特異で、ゴージャスな1日だった。

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