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日本100名城

100名城探訪記

北関東100名城(5)―佐野城、唐沢山城

2024年8月11日

栃木の名城もあと1つ。13時43分、JR両毛線に乗車して足利を出発。13分で佐野駅に到着し、下車。次の目的駅にコインロッカーが無いため、ここでコインロッカーに荷物を預ける。
そのまま乗り換えようと東武線の改札に向かうと、「城山公園口」と書かれた案内板が目に入った。「城山」ということは、ここにも城があったのか――乗り換え時間が比較的長かったので、ちょっと訪れてみることにした。
案の定、「城山公園口」を出たすぐ先にあったのは、江戸時代初期に佐野氏が築城して城下町を形成させた佐野城の跡だった。三の丸、二の丸、本丸の跡が連なり、連郭式の平山城であったことを見て取ることができる。 佐野城大手門址
佐野城大手門址
佐野城本丸跡
佐野城本丸跡
佐野駅から東武佐野線に乗車し、3駅先の田沼駅で下車。この田沼という街は「日本列島中心の町」らしく、駅近くの公演にはその石碑も建っている。
ここから目指す名城まで、公共交通機関は無く、公共交通機関と自分の足のみでの城攻めにこだわる私は、麓の登城口まで30分かけて歩いて向かった。自動車の場合はここからつづら折りの道を進むが、歩行者はショートカットとなる登山道を15~20分ほど登ることになる。 唐沢山城を頂く唐沢山
唐沢山城を頂く唐沢山
唐沢山城への登城口
唐沢山城への登城口
登った先にある名城は、唐沢山城(続100名城 No.114)。平安時代に藤原秀郷(のちに平将門の乱を鎮撫した武将)が関東に下向した際に築いたのが始まりとされ、鎌倉時代にその子孫によって整備された山城である。藤原成俊が佐野氏を名乗った後は戦国時代まで佐野氏の居城となり、上杉謙信を何度も撤退させて関東一の山城と賞賛されるが、江戸時代、先ほど訪れた佐野城が麓に築かれたことにより廃城となる。 唐沢山城 大手虎口跡。食い違い虎口になっている
唐沢山城 大手虎口跡。食い違い虎口になっている
「国指定史跡 唐沢山城跡」の石碑を横に置く、食い違い虎口になっている大手虎口から入城。この虎口から既に石垣造りになっているが、唐沢山城は石垣が見どころだ。大手虎口から武者詰、四ツ目堀、大手道を経て行き着く南城も堅固な石垣に守られている。 唐沢山城 南城石垣
唐沢山城 南城石垣
唐沢山城 本丸
唐沢山城 本丸
南城の上にある施設で続100名城のスタンプを頂いた後、更に奥へ、二の丸跡、本丸跡を目指す。
その本丸を支えるのが、唐沢山城最大の見どころである、高さ8mにも及ぶ高石垣だ。 唐沢山城 高石垣
唐沢山城 高石垣
関東の城で本丸に石垣が組まれているものは珍しいという。佐野氏は小田原征伐で敗軍の将となるが、その後当主となった佐野政綱は豊臣秀吉から豊臣姓を下賜され、更に「吉」の字を貰って「信吉」と改名する程に秀吉と親密だったために石垣造りの城を築くことができたのでは、とも言われている。 唐沢山城 高石垣
唐沢山城 高石垣
唐沢山城 物見櫓台跡の天狗岩
唐沢山城 物見櫓台跡の天狗岩
大手虎口に戻ってみると、かつての物見櫓台跡に上れるようだったので上ってみた。上に櫓は残っていないが、天狗岩と呼ばれる、なるほど天狗が鼻を伸ばしているようにも見える岩が横たわっていた。

青春18きっぷでの北関東名城巡り3日間は、これで終了。来る時は高崎線利用だったが、帰りは両毛線・宇都宮線利用で自宅のある川崎への帰途に就く。
これで関東地方の100名城・続100名城はコンプリートである。

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