久留米城
くるめじょう
続日本100名城 No.183
- 場所
- 福岡県久留米市篠山町(地図)
- 築城時期
- 戦国時代(16世紀前半)
- 築城主
- 不明
- 主な城主
- 毛利氏、田中氏、摂津有馬氏
- 分類
- 連郭式平山城
- 遺構
- 石垣、堀
- 概要
- 筑後国の、筑後川と宝満川の合流地点の丘陵上に建てられた城。16世紀前半にこの地の土豪が篠原城と称して建てた砦が始まりといわれる。豊臣秀吉の九州平定後の1587年、毛利秀包(小早川秀包)が筑後久留米に封じられ、秀包により堀・石垣・天守を設置するなど城の大改修を行う。関ヶ原の戦いで西軍についた秀包が改易されると田中吉政が封じられ、久留米城は柳川城の支城となり、1615年の一国一城令で一旦廃城となる。柳川藩田中氏が改易となった後、1621年、福知山の有馬豊氏が封ぜられ、久留米城を修復・拡張し、城下町を整備する。以後久留米城は有馬氏の居城となり、豊氏の後も築城が進む。明治の廃藩置県で廃城となり、建物は解体されたが石垣と堀は残され、現在に至る。
1983年、福岡県の県史跡に指定される。
笹原城、篠山城、篠原城、久留目城、来目城、雨城の別名あり。
- 公共交通機関による
アクセス - JR九州新幹線・鹿児島線久留米駅下車、徒歩15分。
- 100名城スタンプ
-
篠山神社社務所 (地図)
- 探訪記の該当部分
- 九州北部100名城巡り(5)―基肄城、久留米城
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