宇陀松山城
うだまつやまじょう
続日本100名城 No.166
- 場所
- 奈良県宇陀市大宇陀拾生(地図)
- 築城時期
- 南北朝期?
- 築城主
- 秋山氏
- 主な城主
- 秋山氏、加藤氏、福島氏など
- 分類
- 山城(比高110m)
- 遺構
- 移築門、石垣、曲輪、堀切
- 概要
-
宇陀の国人(宇陀三将)の秋山氏が標高473mの古城山に築いた山城(阿紀山城/秋山城、神楽岡の城)が始まり。南北朝時代には構えられていたとされる。1585年、豊臣秀長の大和郡山入部に伴い秋山氏は宇陀から退去。加藤氏、多賀氏などの城主の下、改修が行われて近世城郭へと移行し、大和郡山城・高取城とともに豊臣政権下の大和国支配の要となる。多賀秀種は関ヶ原の戦いで西軍に属したため改易され、福島正則の弟・福島高晴が入城し、更なる改修を行い、松山城と改名する。1615年、大坂夏の陣で豊臣方に内通したとして高晴は改易され、松山城も廃城となる。
近年の発掘調査で本丸御殿の構造が明らかになり、天守閣の構造の解明も進められている。
2006年、国の史跡に指定される。
- 公共交通機関による
アクセス -
・春日神社ルート(推奨):
近鉄大阪線榛原駅から大宇陀行バスで西山下車、松山西口関門・宇陀松山城春日門跡経由で登山口まで徒歩10分、登山口から本丸まで徒歩20分。
・赤砂利ルート(スタンプはこちらに集中):
上記バスで大宇陀(道の駅 宇陀路大宇陀)下車、宇陀市松山地区まちかどラボ経由で徒歩20分。
- 100名城スタンプ
- 探訪記の該当部分
- 関西中部100名城(4)―宇陀松山城、千早城
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