大垣城
おおがきじょう
続日本100名城 No.144
- 場所
- 岐阜県大垣市郭町(地図)
- 築城時期
- 戦国時代(1535年頃)
- 築城主
- 宮川吉左衛門尉安定(諸説あり)
- 主な城主
- 竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、岡部氏、久松松平氏、戸田氏
- 分類
- 連郭輪郭複合式平城
- 遺構
- 石垣、曲輪
- 概要
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美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、1535年に創建されたと伝えられる。戦略上重要な地点であったため、戦国時代には争奪戦が繰り返され、織田氏、斎藤氏、織田氏と支配権が移り変わる。賤ヶ岳の戦いの後は羽柴秀吉配下となり、池田恒興・輝政親子などが城主となる。1586年、天正地震で全壊・焼失。その後の再建で、3重4階の天守が築かれる。1600年の関ヶ原の戦いの際には、城主・伊藤盛宗が西軍に属したこと、地理的に関ヶ原に近かったことから、石田三成ら西軍の主力部隊が入城して根拠地となり、この城で軍議が行われ、杭瀬川の戦いで東軍を相手に勝利を収める。関ヶ原の本戦で西軍が敗北すると東軍に攻囲され、落城する。江戸時代に入ると徳川家康の譜代大名・石川氏が城主となり、次いで戸田氏が幕末まで藩主を務める。
天守など一部の建物はは明治の廃城令を生き延びて国宝に指定されたが、第2次大戦の空襲で焼失。天守は戦後、鉄筋コンクリート造りで外観復元された。
1956年、大垣市指定史跡に指定される。
麋城、巨鹿城の別名あり。
- 公共交通機関による
アクセス - JR東海道線大垣駅から徒歩10分。
- 100名城スタンプ
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大垣城天守内(地図)
- 探訪記の該当部分
- 琵琶湖周辺100名城(5)―佐柿国吉城、玄蕃尾城、大垣城
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