上田城
うえだじょう
日本100名城 No.27
- 場所
- 長野県上田市二の丸(地図)
- 築城時期
- 安土桃山時代(1583年)
- 築城主
- 真田昌幸
- 主な城主
- 真田氏、仙石氏、松平氏
- 分類
- 梯郭式平城
- 遺構
- 櫓、石垣、土塁、堀
- 概要
-
上田の真田氏館に居住していた真田昌幸が1583年、「上杉軍から徳川を守る」という口実で千曲川畔近くに築城。その後昌幸は上杉方に寝返り、上田城は家康軍に攻められるが撃退(第1次上田合戦)。関ヶ原の戦いの折は西軍について徳川秀忠軍に攻められるも防いで秀忠を本戦に遅参させた(第2次上田合戦)。2度にわたり徳川軍を撃退した難攻不落の城だったが、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ昌幸と信繁(幸村)が紀伊に流され、上田城も取り壊される。東軍についた昌幸の嫡男・信之が領土を守ったが城の再建は認められず、信之が松代に移封された後に城主となった仙谷氏の代に再普請が始まるも、1628年、仙石忠政の死により中断。
明治以降、多くの建物が解体・移築され、「真田石」を含む石垣と櫓(西櫓)が残るのみとなったが、1934年、本丸と二の丸の大部分が国の史跡に指定され、20世紀中頃から櫓、櫓門、塀などの復元が進む。
尼ヶ淵城の別名あり。
- 公共交通機関による
アクセス - JR北陸新幹線・しなの鉄道線上田駅から徒歩15分。
- 100名城スタンプ
- 探訪記の該当部分
- 長野100名城巡り(2)―上田城、小諸城、龍岡城
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