バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

インド国旗インド

インド地図

概要

インド亜大陸の大部分を占める国。チベット、東トルキスタン、ネパール、ブータン、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ビルマ(ミャンマー)と国境を接する。

紀元前15世紀ごろからアーリア人が進出して先住民を隷属させ、司祭階級バラモンを中心としたバラモン教と階級制度(カースト)が形成される。その後、ウパニシャッド哲学の繁栄を背景に仏教、ジャイナ教が生まれる。
紀元前4世紀、マウリヤ朝が初めてインドを統一。紀元前2世紀にマウリヤ朝が滅亡すると北インドは混乱。4世紀にようやくグプタ朝が北インドを統一し、この時期、バラモン教と民間信仰が融合してヒンドゥー教が盛んとなる。グプタ朝滅亡後の北インドは再び分裂の時代を迎え、7世紀にヴァルダナ朝の下再統一されるがすぐに滅亡して分裂の時代へと戻る。10世紀に入るとムスリム勢力の侵入を受け、13世紀~16世紀初の間、イスラム王朝(デリー・スルタン朝)が支配する。
一方南インドは北インドとは独自の歴史を歩み、インド洋貿易で栄え、ヒンドゥー教が文化が隆盛する。
16世紀、ムスリムのムガル帝国が興り、17世紀にはデカン高原、パキスタンにまで版図を広げてインド亜大陸をほぼ制圧した。
しかし18世紀に入ると帝国は分裂し、更に17世紀ごろから西洋列強の進出が進み、インドでの覇権を握ったイギリスによる植民地化が進む。1858年にインド大反乱が鎮圧されるとムガル帝国は滅亡。1877年、英女王ヴィクトリアを国王とする英領インド帝国が成立する。
しかし、イギリス支配に対するインド人の不満は高まり、第1次大戦後、ガンディーらを中心に非暴力・不服従による反英闘争が展開される。一方で、インド国民会議派と全インド・ムスリム連盟の対立も深まっていった。
1947年、イギリスからの独立を果たすもパキスタンとの分離独立となる。
冷戦時代には非同盟中立の立場を取る。一方では近隣の中国やパキスタンとの紛争もあり、特にパキスタンとの対立は今なお解消されていない。

宗教はヒンドゥー教が全国民の7割以上と圧倒的多数派で、イスラム教が1割。少数派としてシク教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教などがある。観光名所もヒンドゥー教やイスラム教の色彩が濃厚な所が多い。
カースト制度は1950年に制定された憲法でが否定され、制度としてのカースト制度は廃止されたが、社会習慣としては今でも根強く残っている。

農業、第3次産業が盛んで、特にIT産業の発展が目覚しい。

気候は基本的にモンスーン気候で夏は暑い。国土が広いので場所によっては砂漠気候だったり、雨量に差が出たりと地域差がある。

人口約11億3000万人、面積329万平方km、首都はデリー。
通貨はインドルピー。公用語はヒンディー語だが、その他ベンガル語、タミル語、ウルドゥー語、パンジャーブ語、アッサム語、カシミール語など20以上のの言語が使用されている。
日本との時差は-3時間半。
コンセントの形状はB B、B3 B3、BF BF、C C

ビザ(日本人の場合)
インドに入国する場合には期間の長短に関わらずビザが必要。観光の場合6か月マルチという素晴らしいビザを取得することができるが、一度出国すると2か月間再入国できないという謎のルールが2010年から設けられた。トランジットビザでも15日の1次・2次が取得できる。
(参考ページ:India Visa Application Center, Japan
日本からのアクセス
成田、関空からデリー、ムンバイへの直行便あり、香港やタイ・バンコクなどで乗り継いで行くこともできる。
主な都市・観光地(青字は到達済み)
北部: デリーアーグラーバラナシジャイプール、ジョードプル、ウダイプル、リシュケシュ、アムリトサルダラムサララダック
東部: コルカタ、プリー、パトナ、ブッダガヤ、ダージリン
中部: カジュラホ、サーンチー
西部: ムンバイ、プネー、ゴア、アジャンタ、エローラ
南部: チェンナイ、バンガロール、マイソール、コーチン
リンク
当旅行記の該当部分

※リンク先ページの[前][次]はエリア別ではなく「時期順」モードのものです。

アジア周遊第5部 北インド、パキスタン

スノウリ、ゴラクプル~インド入国
デリー-1~意外と整然としたニューデリー
アムリトサル-1~シーク教と黄金寺院
アムリトサル-ワガ~パキスタン入り
ラホール-アムリトサル~再びインドへ
アムリトサル-2~虐殺の傷痕
アムリトサル-デリー~イスラム濃厚 オールドデリー
デリー-2~オールド→ニューデリー
デリー-3~フマユーン廟とガンディー最期の場所
デリー-4~国立博物館、予防接種
デリー-5~ガンディー詣で
アーグラー-1~タージ・マハル遠景
アーグラー-2~タージ・マハル近景
アーグラー-3~アーグラー・フォート
ジャイプル~マハラジャの城
ジャイプル-デリー~天文台とマハラジャの宮殿

アジア周遊第6部 北インド

ダラムサラ-1~山の上の小さな村
ダラムサラ-2~ダライ・ラマの亡命先
ダラムサラ-3~ティーチング参加申請、バグス滝
ダラムサラ-4~バグス滝とダライ・ラマ公邸
ダラムサラ-5~ティーチング1日目
ダラムサラ-6~ティーチング2日目、チベット医学
ダラムサラ-7~ティーチング3日目
デリー~この街の評判
バラナシ-1~暴れ牛とベンガリー・トラの細道
バラナシ-2~ガンガー(ガンジス川)
バラナシ-3~沐浴とプージャー
バラナシ-4~インドの大動脈
サールナート~ブッダ初説法の地
バラナシ-5~ガンガークルーズ
バラナシ-6~火葬場マニカルニカー・ガート
バラナシ-7~ムスリムエリア
バラナシ-8~火葬場ハリシュチャンドラ・ガート
バラナシ-9~南端・北端のガート
ブッダガヤ-1~スジャータの乳粥供養
ブッダガヤ-2~悟りの地・マハボディー
ラージギル~苦行の地
ブッダガヤ-3~寺院巡り
コルカタ-1~カメラ盗難
コルカタ-2~雑多ゆえのエネルギー
コルカタ-3~カーリー・ガートとビルラー寺院
コルカタ-4~モイダン公園周辺とマザー・ハウス
コルカタ-5~マザー・テレサの墓とダルハウジー広場一帯
コルカタ-6~死を待つ人の家(1)
コルカタ-7~死を待つ人の家(2)
インド巡り総括~「人が生きる」ことそのものについて

ラダック、北インド(2011年)(ラダック以外)

インドへ――取りあえずはデリー着
チベット料理写真集
マナーリー(1)
マナーリー(2)
マナーリー(3)
25日ぶりの美酒
マナーリー―ダラムサラ
ダラムサラ(1)~マクロードガンジの電飾
ダラムサラ(2)~ダラムサラの“空気”
ダラムサラ(3)~コルラ道
ダラムサラ(4)~問答
ダラムサラ(5)~コスプレ?
ダラムサラ(6)~タンカを描く人
ダラムサラ(7)~パグスの滝
ダラムサラ(8)~祈り
ダラムサラ(9)~日本人長期滞在者
ダラムサラ(10)~タンカを描く人-2
ダラムサラ(11)~不殺生
ダラムサラ(12)~新しい靴
ダラムサラ(13)~ダラムサラのゴンパ
ダラムサラ(14)~チベット子供村(TCV)
ダラムサラ(15)~マクロードガンジを一望
ダラムサラ(16)~チベット亡命政府、図書館
ダラムサラ(17)~ノルブリンカ
ダラムサラ(18)~ルンタ・プロジェクトの写真展示
ダラムサラ(19)~モモカフェでツァンパ粥
ダラムサラ(20)~マクロードガンジ中心部の寺院
ダラムサラ(21)~デモ行進
タンカのその後
ダラムサラ最後の日
ダラムサラ―デリー
デリー(1)~デリー巡り
デリー(2)~帰国日確定
バラナシ(1)~ガンガー、ガート
バラナシ(2)~火葬ガート
バラナシ(3)~プージャー
バラナシ(4)~朝のガンガー
ブッダ入滅の地・クシナガル
クシナガル~ゴラクプル~デリー
ニューデリー駅とメインバザール
インドのマクドナルド
旅の締めくくり~ガンディー詣で
デリー・空港メトロ
帰国~“日常”から“日常”へ
ラダックの牛、インドの牛
【纏め記事】ラダックで出会った動物たち

スリランカ、インド

デリー、ムンバイ~インドは飛び越えてスリランカへ
デリー-1~混沌再び…オールド・デリーとガンディー詣で
デリー-2~チベット難民居留地・マジュヌカティラ
デリー-3~寂れたか?メイン・バザール

※ラダックに関しては、思い入れが強いため特別に別ページを立てています。

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