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世界への旅(旅行記)

台湾西岸(2012~2013年)

淡水 ~恋人たちとグルメのプロムナードと、台湾史の語り部

2012年12月30日

淡水
水辺の街・淡水。恋人たちのいる風景がよく似合う
台北駅からMRT(地下鉄)淡水線に乗り、そのまま乗り換えなしで北へ終点まで。行き着いたのは新北市に属する、台湾最北端に果てしなく近い場所にある、淡水だ。
淡水は、水辺の街。
間もなく海という、淡水河の河口にほど近い場所につくられた街だ。河とはいえ、この淡水河、知らなければ海と見まがうほどの大きさで、香港のビクトリア海峡と同じ位の幅があるのではないだろうか。ビルこそ無いものの、対岸にビクトリア・ピークを思わせる小高い山もあることから、ふと九龍側から見たビクトリア海峡と香港島が連想させられる風景だった。
水辺のプロムナード(散歩道)があるのもビクトリア湾に似ている。水辺の散歩道というだけでも恋人たちのいる風景が似合う場所だが、ここは夕陽の風景が有名らしく、それがなおのこと恋人たちを呼び集めている。残念ながら私が訪れていた間の台北とその近辺は終始曇り時々雨の天気で、夕陽を拝むには余りに条件が悪かった。

淡水河
淡水河
淡水の屋台街
淡水の屋台街

プロムナード沿いには台湾らしい屋台が軒を並べている。何度も言うが、看板に書かれている文字が簡体字などというまがい物の漢字ではなく正統な漢字・繁体字であるのがほっとさせられる。

グルメは後回しにして、私は先に、台湾の歴史を語る史跡へと足を向けた。
紅毛城
紅毛城
プロムナードの西の端から街の方へと進むと、丘の上に赤レンガ造りの洋風建築が建っているのが見える。紅毛城と呼ばれるこの建築物、折しも新北が市に昇進したお祝いに入場無料で開放されており、私もありがたくその恩恵に与らせて頂いた。
紅毛城は17世紀、大航海時代の果てにアジア諸国を侵略して回った西洋列強のうち、スペインが1628年に建てたセント・ドミニカ城が起源となっている。その後1642年、スペインを駆逐して台湾に勢力を得たオランダがアントニー要塞として改築している。その後19世紀、アヘン戦争で清国を破ったイギリスがこの紅毛城内に領事館を設置している。そし太平洋戦争勃発後には日本が、終戦後には再びイギリスが接取し、その後紆余曲折を経て、1980年、ようやく台湾政府に返還されている。
こうして見ると、台湾がいかに歴史の波に翻弄されてきたかがよく分かる。この紅毛城は淡水のシンボルであるのみならず、そうした台湾の歴史のシンボルでもあるのだ。
淡水名物?巨大ソフトクリーム
淡水名物?巨大ソフトクリーム

さて、グルメといくか――実は、先ほど東から西へとプロムナードを歩いていた時から気になっていた物があったのだ。
それは、ソフトクリーム。
とは言っても、そんじょそこらのソフトクリームとは訳が違う。特大ソフトクリームなのである。
サイズ小とサイズ大があるが、サイズ小でも30cm、サイズ大になると50cmもの高さになる。チャレンジャーの私は勿論、サイズ大を選んで完食にトライしてみたが ―― 愚かな挑戦だった。
先にも書いたように、この季節の台北は沖縄・宮古島とほぼ同緯度であるにもかかわらず、想像以上に寒いのである。そんな中でこんなに大きなソフトクリームを食べたらどうなるか ―― 考えなかった私が馬鹿だった。
当然のように、凍えてしまった
何か、温かいものを ―― 幸い、すぐ近くに熱々の魚肉団子入りスープを売る店があったので、それを食べて体温を取り戻した。

魚肉団子スープ
私の体を温めてくれた魚肉団子スープ
淡水老街
淡水老街

帰りは、プロムナードから陸へ1本入った淡水老街を歩いてみる。廟があったり、紅毛城に倣ったのか、赤レンガ造りの建物も少なくなく、どこか懐かしさを感じさせる街並みだった。

2度目の台湾、事実上の初日はこんなところ。午前中の時間の浪費がもったいなかったが、ひとまず、まだ見たことのない台湾を見ることができて、トータルでは悪くない1日だった。

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