バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

台湾西岸(2012~2013年)

台北着 ~私が追い求めていた“中国”

2012年12月29日

中華民国・台湾の(事実上の)首都である台北の桃園空港に到着し、私を成田から台北へと運んでくれた便の外に出ると、そこに待ち構えていたのは、中国語表記の案内板だった。中国語を母国語とする国なのでそれは当たり前なのだが、同じく中国語を公用語とする大陸中国とは大きく様相を異にしている。
文字が違うのだ。ご承知のこととは思うが、大陸では簡体字という変な漢字が使われている一方で、台湾では繁体字という、私たち日本人が使っている漢字に近い漢字が使われている。

[そう、これだよ、これ! 私が追い求めていた“中国”は!]

私はかつて、中国に強い憧憬の念を抱いていた。日本の文化、日本の文字、日本の仏教のルーツがそこにあると考えていたからである。何度も大陸を旅行し、語学留学や現地就職までしてそれを追究してみたものの、結局、何を得ることもできず、それどころか大陸を支配するカルト集団とそれに冒されたいろいろなものの全てが心底嫌になって日本に戻ってきた。

日本のルーツ――そんなもの、大陸で見つからないのが当たり前だったのだ。
古き良き中国は全て、中国共産党によって破壊し尽くされてしまっていたのだから。

例えば寺社。1960年代に起きた狂気の集団暴力・殺戮行為の文化大革命は「古い物は悪しき物」と言わんばかりに仏教、儒教といった伝統文化の施設をことごとく破壊する。文革が否定されてそれらの寺社も再建されはしたが、元より中国共産党のスタンスは「宗教は麻薬」なので、再建したところで魂がこもろうはずもない。私は中国で幾つもの寺社を訪れたが、(元より中国ではないチベットは別として)感動したり、心を揺さぶられたりしたことは一度も無かった。恐らく、そういう部分が影響しているのだろう。

そして、一番酷い壊され方をしたのが、漢字だ。
勿論、日本の漢字も元々の繁体字に比べればかなり簡略になっているが、私はそれは自然な流れにおける「文化の変容」の一部として許容される範囲と考えている。そして「自然な流れにおける文化の変容」は、文化の発展と、文化の硬直化防止のために認めるべきことだ、というのが私のスタンスだ。
しかし、簡体字の成り立ちは「自然な流れにおける文化の変容」などではない。明らかに恣意的な「文化の破壊」だ。簡体字を見ていると、どう考えても本来の漢字の成り立ちや意味が無視されていると言わざるを得ない。

「心」の無い「愛」…
「口」の無い「言偏(ごんべん)」…

簡略化するにしても、どうしてその文字の核心部分を削ぐような省略の仕方ができるのだろう?
その結論に達する前のことだったとはいえ、私自身がそんな「まがい物の漢字」で中国語を学んでしまったという事実――今は穴があったら入りたいくらいの思いだ。

そんな風に「中国語の漢字」にいろいろな思いを巡らせてきた私にとって、簡体字ではないきちんとした漢字を使った中国語表記が輝いてすら見えたのだ。
このでならもしかしたら、大陸で無くなってしまった、もしくは形骸化してしまった、日本文化のルーツたる古き良き中国文化に巡り会えるかもしれない。

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