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世界への旅(旅行記)

アジア周遊エピローグ~帰国

蘇州号、大阪 ~日本着

2007年12月19日

船旅2日目。
東シナ海は穏やかで、揺れも全く無い。

ほんの数時間で到着してしまう飛行機と比べ、船は時間がゆったりと流れているが、ゆったりしているのは時間だけではない。狭い座席でじっとしていなければならない飛行機に比べ、自由に歩き回って体を伸ばすことができるし、寝転がることすらできる、空間的なゆったり加減も魅力だ。
2泊3日は長そうにも思われるが、他の乗客とおしゃべりをしていればあっという間に時間が過ぎてくれるので、予想以上に退屈を紛らすことができた。
蘇州号のラウンジ
蘇州号のラウンジ

中には日本で暮らす中国人と交流する日本人乗客もいる。私は専ら日本人とばかり話してしまっていたが、彼らと話す中国人を見ていると、私が不快感を抱くようになった、中国共産党の悪政で悪く染まってしまった「人民」たちとは何か違うオーラが感じられた。中華人民共和国以外のまともな国で暮らすことで、共産党の毒気が抜けたのだろうか。
そういえば、今回の旅の中で一度だけ、同じオーラを感じさせられた中国人たちがいた。
永定土楼で1日だけ交流した学生たちである。彼女ら(男子学生もいたのだが女子学生たちとの交流が主だったのでこう記す)は一般的な中国人に感じられる傲慢さ・とげとげしさ・陰湿さの無い、爽やかで気さくな者ばかりだった。
こうした中国人はごく少数派、というのが長きにわたって中国と接してきた私の率直な印象だが、彼らのような海外を知る者、若い世代にかの国の将来を託すことができれば…。
中華人民共和国という国とそれを支配する中国共産党には完全に絶望した私だが、人々にはまだかすかな希望を感じずにはいられない。

冬至間近で既に真っ暗な夕方。いつの間にやら九州に着いていたようである。暗闇の中に街の灯りが見える。7か月半ぶりに見る、日本の灯だ。
18時半、関門大橋を通過する。後は一晩かけて、瀬戸内海を端から端まで移動するばかりだ。

関門大橋
関門大橋を通過
明石海峡大橋
明石海峡大橋を通過

2007年12月20日

東の空に朝焼けの残る7時、今度は明石海峡大橋を通過する。ということは、現在地は兵庫県。目指す大阪はもうすぐ隣だ。

やがて、大阪港の施設が見えてきた。そして9時、予定通りの時刻で蘇州号は大阪港に到着した。
下船して入国審査を済ませた後、税関へと向かうが、この日は「取締強化日」となっていて、荷物のチェックが厳しい。中には別室に連れて行かれてパンツ1枚にされてしまった日本人男性もいた。それでも、彼を含めて皆、無事に税関を通過することができた。
税関の先にあるゲートをくぐると、そこはもう…

日本

この瞬間、7か月半の長きに及んだ私のアジア周遊の旅が事実上、終了した
大阪着。7か月半ぶりの日本
大阪着。7か月半ぶりの日本

 ――  なぜ、“事実上”なのか。

実は、私の自宅は東京であり、まだそこまでたどり着いてはいなかったからだ。
しかも大阪から東京へ直行することはせず、まずは学生時代を過ごした京都に移動。ここらへんでのんびりとしながら、数日後の帰宅を目指すことになる。

まだ旅は終わっていない。

それは、「自宅に戻るまでが旅」という意味もあるのだが…
実は、大阪で船を降り立った時から、何か妙な違和感を覚えていたのである。

コメント(3)

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フェリーで戻られたのですね。北海道に帰る時、大洗から苫小牧まで船で行った時の事をを思い出しました。私は20時間でしたが、それよりも長い2泊三日ですか~。ざこ寝の時もあり懐かしく記事を読ませてもらいました。冬の京都も良いですね。風邪がはやっています。気を付けて下さいね。

お帰りなさい!!

「お帰りなさい!!」----か。
果たしてそうなのだろうか…

(次のページにそのへんの心境が書いてあります)

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