バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第8部 カンボジア、ベトナム、ラオス

ポイペト-シェムリアップ ~カンボジア入り直後の悪路

2007年10月19日

タイとカンボジアの境を越え、カジノ(タイでは禁止されている)を横目にカンボジア側のイミグレーションへ。人が多く結構待たされたが、無事国境を通過することができた。
国境の門
国境の門
国境を越えた先のポイペトで乗ったシェムリアップ行きバスには、30人ほどの外国人ツーリストが乗車。待っていた者全員が乗り切らなかったほどの盛況ぶりである。

カンボジア側に入ると、つい先ほどまでいたタイ側とは明らかに異なっている。
まず、物売りなどで割合賑わっていたタイ側に比べて、こちらはかなり閑散としている。
次に、自動車が右側走行になっていること。チベットからネパールに抜けて以来、ネパール、インド、パキスタン、シンガポール、マレーシア、タイとずっと左側走行だったが、かつて仏領インドシナだったこの国からは右側走行が続くことになる。
そして、道路の舗装状況。
タイ側のきれいに舗装された道とは打って変わって、カンボジアに入った途端、道は土むき出しのでこぼこ道に姿を変えていた。
ここから先が、きつい旅となった。

悪路
カンボジアに入国したらいきなりの悪路
悪路
でこぼこの悪路を走る

バスは砂煙を上げ、激しく揺れながら田園地帯を突き進む。
内戦が長く続き、経済的な疲弊を通ってきた国である。まだまだこのあたりまでは力が回らないのだろう。幹線道路であるにもかかわらず、この有様である。同乗していた日本人ヒロアキと、
中国へのODAなんてもう不要だから、その分この国に回せ!
などと本気でぼやいてしまう。

<後日談>
当時はそんな悪路だったこの道も、今では綺麗に舗装されてかなり快適になったと聞く。

あたりがすっかり暗くなった18時すぎ、レストランで休憩。しかし下車する際、案内人が言う。
「この先で橋が壊れる事故があり、シェムリアップへ行けなくなっています」
何だって?
乗客の中には既にシェムリアップでの宿を予約している者もおり、車内は一瞬、騒然となる。
しかし、騒いでいても仕方が無い。取りあえず腹ごしらえをすることにする。
そこは外国人向けぼったくりの高いレストランだった。フライドライスやフライドヌードルが2ドル。カンボジアの相場からすれば2倍以上だ。

金の単位が出たところで、カンボジアの通貨について。
カンボジアの通貨はリエルといい、当時の相場は1円≒33リエル、1米ドル≒4000リエルといったところ。しかし実際には、米ドルも現地通貨並みに使うことができるのだ。ただし、セント単位の米ドルは使うことができず、1ドル未満のおつりは1セント=40リエル換算でリエル払いとなる。

1時間ほど足止めを食らったところで、再度出発。暫く進むと、車がずらりと停まっている。確かに橋が壊れているようである。しかし、現地の人によると、「壊れたのは古い橋で、新しい橋を造っているところ。その新しい橋の方を片側相互通行で進む」とのこと。30分ほど待ったところで、ようやく渋滞をすり抜けることができた。
先ほどの説明を受けた時には、この日のうちにシェムリアップまで行けないのではないか、という危惧も一瞬頭をよぎったが、どうやら無事シェムリアップまで行くことができそうだ。

いつの間にか、未舗装のでこぼこ道が舗装道路に変わっていた。やがて、明かりも無かった道の両側に街灯が、建物が見えるようになってきた。 シェムリアップに到着したようである。

21:30、下車。タイのカオサンを出発してから15時間。長い陸路の移動が終わった。
夜のシェムリアップ
夜のシェムリアップ

オールド・マーケット近くのポピュラー・ゲストハウスに宿を定めた後、車内で一緒になったヒロアキともう1人の日本人男性と、オールド・マーケットそばのバー・ストリートへ一杯飲みに行く。
その名の通り、酒場が並ぶ界隈で、行く前は高くつくのではないかと心配していたが、中ジョッキの地ビール1杯が通常75セント、安い所で50セントとかなり安い値段で酒を楽しむことができる。
しかし、飲んでいるうちに気分が悪くなり、ついには嘔吐に見舞われた。
ここのところのハイペース移動、そしてこの日のやや過酷な移動で、やはり体が少々参っていたらしい。2人を残して先に宿に戻り、そのままベッドに沈むようにして就寝した。

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