バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第6部 北インド

コルカタ-2 ~雑多ゆえのエネルギー

2007年9月18日

コルカタ
「インドの4大都市」の一つ・コルカタ
コルカタは(旧称『カルカッタ』)、東北インド・西ベンガル地方の中心都市であり、デリー、ムンバイ(同『ボンベイ』)、チェンナイ(同『マドラス』)とともに「インドの4大都市」の一つに数えられる大都市だ。 かつてのイギリス東インド会社の本拠地であり、英領インドの首都(~1911年)でもあった都市で、今でも、東インド最大の都市と言うことができる。
街には人があふれ返り、道には車がひっきりなしに走っている。交通量や喧騒はデリーに勝るとも劣らない。バスや乗用車のほか、この街には黄色のタクシーも多い。人力車がいまだに現役で走っていたり、道の真ん中を路面電車が走っているのも、他にはないコルカタならではの光景だ。
人も大勢いる。人口はインド第2位だという。
しかし、人が大勢いれば、貧困者も大勢いるのがインドだ。バングラデシュ難民も多く流れ込んでいるという。確かに、街を少し歩くと路上生活者のテントが並んでいる場所が見られたりする。スラムも少なからずあるとのことだ。
多言語国家インドの中で、この一帯で話されているのは、これまで巡ってきた地域のヒンディー語ではなくベンガル語らしいが、私にとっては「全く分からない」という意味において全く同じである。 民族も、ベンガル人のみならずパンジャーブ人、ビハール人なども入り交じっているらしいが、こちらも私には区別がつかなかった。
それでも、雑多であるがゆえのエネルギーはひしひしと伝わってくる。先日訪れたバラナシもエネルギッシュな街だったが、宗教的なエネルギーが強かったバラナシに対して、コルカタには商業的なエネルギーが感じられる。

裏通り
コルカタの裏通り。狭い道を人力車などが
ひっきりなしに通る(このくらいは序の口)
この日は朝から、ある場所を目指して裏通りを歩く。狭い道を人、人力車、オートリキシャなどがひっきりなしに通る。表通り以上の混沌がそこにはあった。

目指す建物には行きついたが、入り口がどこにあるかが分からない。建物がある表通りから路地に入ったところにあるようなのだ…
「こっちだよ」
小さな可愛い男の子が声をかけてくる。男の子に手を引かれて玄関前まで案内されると、確かにそこにはこう書かれていた。
MOTHER TERESA M.C.

マザー・テレサ
困窮する人々、病む人々に手を差し延べた、余りにも有名な20世紀の修道女である。
"M.C."とは、「神の愛の宣教者会」(Missionaries of Charity)の略。ここは通称「マザー・ハウス」と呼ばれる、マザー・テレサの遺志を受け継ぐ者たちの拠点である。
マザー・ハウス
マザー・ハウス
マザー・ハウス
マザー・ハウス玄関
現在、マザーの崇高な遺志を実践する人々は、常駐のボランティアのほか、臨時の短期ボランティアとして参加する外国人ツーリストらがいる。
余り日数は取れないが、私も参加するつもりだった。
宗派こそ異にするが、彼女の"慈悲"はダライ・ラマ14世に通じるところがある。それから、バラナシで火葬の風景を見たことで“生と死”というものをリアルに感じたことから、もう少し"生と死"と真剣に向き合いたいという思いもあった。

この日は場所の確認だけで引き返す ―― とその前に、案内してくれた男の子にお駄賃をあげよう。と思って財布に手をかける。
「No money! Milk」
お金ではなく、ミルクか。子供らしくていいや ―― そう思った私は、再びその子に手を引かれて、街角の商店に足を運んだ。気が付いてみると、もう一人他の男の子も着いて来ている。
「ミルクぐらいなら」と思っていたが、その商店で見せられた缶の粉ミルクは、350ルピーもするものだった。日本円にすれば1200円ほどのものだが、貧乏旅行中で、コルカタでの1泊の宿泊費が70ルピーという生活をしている私にとっては、余りに高すぎた。それに、財布の中には50ルピーほどしか入れていない。
すると、店主は「50ルピーでもいい」と言ってくる。さすがにこの子達の前で50ルピーを出し渋ることもできず、私は店主に50ルピーを渡した。この金額でどんなミルクが買えるのだろう?と私は様子を見ていたが、男の子の一人が「もう帰っていいよ」としきりに言ってくる。その様子に不審さを感じないでもなかったが、私はその場を離れることにした。

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