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世界への旅(旅行記)

アジア周遊第3部 チベット

シガツェ ~タシルンポ寺で信仰心の芽生え

2007年7月19日

ギャンツェからシガツェへ移動する。
シガツェといえば、6年前にも訪れたいと思いつつ訪れずに済ませてしまった街である。できれば好天の下で訪れたかったが、ギャンツェを出た時には生憎の雨。シガツェに到着する頃には雨こそ何とかやんでくれたが、空は僅かに青空が見えるようにはなったもののまだまだ雲の方が圧倒的に多い。

まず、最近になって廃墟の状態から立派な建物が建てられたシガツェ・ゾンが目に入ったが、特に仏像がある訳でもないというのでそこには寄らず、ゲルグ派最大の寺院・タシルンポ寺を訪れる。

タシルンポ寺
タシルンポ寺

昨日訪れたギャンツェのパンコル・チョエデも小規模ながら格式のある寺院だった。しかしこのタシルンポ寺は、格式があるのは勿論のことだが、パンコル・チョエデと比べて規模そして建物の多さという点で圧倒的だ。ここもラサのセラ寺同様、広い敷地の中に建物が幾つも建ち並んでいて、一大コミュニティを形成している。その建物の中では、大勢の僧侶たちが真剣に読経などの修行をしている。

タシルンポ寺
タシルンポ寺も寺院と言うよりは“一大コミュニティ”だ
タンカ台
タンカ台

タンカ台や仏塔など、チベット仏教寺院ならではの建築も目を引く。ここのタンカ台はかなり大規模で、この寺院に建てられたどの建築物よりも大きく、目立つ。きっと、ガンデン寺の巨大タンカと同様の規模のタンカが飾られるのだろう。
不思議と、この寺院では他で見られたような破壊の爪痕は感じられなかった。それもそのはずで、この寺院の主座は中国共産党に親しかったといわれる(とはいえ時には敢然と中国共産党に刃向うこともあった気骨の人でもある)(※1)パンチェン・ラマなのだ。そのため、中国共産党による侵略の時も文化大革命の時も破壊を免れたのだという。

境内に入ってすぐのことだった。建物の間の狭いスペースで、火を灯し、楽器を鳴らしながら儀式が行われている場面に遭遇した。重量感のある楽器の音といい、ろうそくとは比べ物にならないほど大きな火を灯す点といい、同じ仏教でも日本や中国の仏教とはかなり様相を異にしている。

と、その儀式が行われていた場所から表に出たその時だった。
先ほどまで空を覆っていた雲が突然切れて、太陽が顔を出し、まばゆい陽光が降り注いできた。
余りに絶妙なタイミングに、6年越しの念願の末ようやく訪れることができたこの地で、空が、いや仏が、私を歓迎してくれたように思われ、典型的な不信心者だった私の心にこの時、にわかに信仰心のようなものが芽生えてきた。その後は仏像やこの僧院の座主である歴代パンチェン・ラマの霊塔を見るや深々と頭を下げて祈りを捧げ続けた。
歴代パンチェン・ラマの霊塔が収められた堂
歴代パンチェン・ラマの霊塔を収めた堂
「信者なんですか?」
「信者という訳ではないけれど ―― いや、にわか信者になってしまったかな?」
その余りの熱心さに、同行者のサトコからそう突っ込まれるくらい、私は心を奪われたように祈っていた。

大弥勒殿には高さ26mの金色の弥勒菩薩像が安置されている。
先ほどの"奇跡"に心を揺り動かされた私や、元よりチベット仏教に深い関心を抱いていたリョウコは勿論のこと、それ程ではないほかの3人も含めて全員が、この弥勒菩薩像の前では深々と祈っていた。
[明日、天気が晴れて、あの風景がすっきりと見られますように…]
そんな思いもあったのだ。

規模、雰囲気、風格、数々の仏像、僧侶の真剣な修行の様子 ―― どれを取っても「これまで見たチベット寺院の中で一番良かった」というのが、皆の一致した意見だった。

シガツェはタシルンポ寺だけで終わらせ、私たちはそのままシェカールに移動し、そこで一夜の宿を取る。

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