バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

北京とその周辺

清西陵 ~河北省の“オールド・ペキン”

2007年2月23日

北京を都とした清王朝の皇帝たちは、北京の東西に分かれて埋葬されている。東側を清東陵、西側を清西陵という。いずれも北京市ではなく河北省に属するのだが、遺跡の性質を考えればこれもまた“オールド・ペキン”の一つと考えて差し支えないだろう。
今回の旅で司馬台長城の次に目当てにしていたのが、実はこれらの清皇帝陵墓群だった。但し、両方に行っている余裕は無かったので、どちらか一つに絞ることにした。
当初は康熙帝、乾隆帝、西太后等錚々たる顔ぶれの清東陵を目指すつもりでいたが、アクセスが難しく、その日のうちに戻って来られるか微妙なところだ。結局、今回はアクセスの容易な清西陵を選択した。

朝一番で宿を出て、清西陵近くの保定市易県へ行くバスの出ている麗澤橋バスターミナルに行こうとしたが、どこをどう間違えたのか蓮花池バスターミナルに着いてしまう。正しいバスターミナルに到着して易県へ向けて出発したのは結局8時すぎになってしまった。

バスは盧溝橋の横を通り、河北省に入る。途中、劉備と張飛の出身地というだけの街・涿州を素通りして、10時半、易県に到着した。

泰陵
雍正帝の陵墓・泰陵

易県バスターミナルからローカルバスに乗って、まずは清西陵の入り口・大紅門へ。そこから20分ほど歩いてようやく、3代目・雍正帝の陵墓・泰陵に辿り着く。
明の永楽帝の長陵、同じく萬暦帝の定陵などと比べればさすがに見劣りはするものの、さすがに皇帝の陵墓。ちょっとした宮殿のような外観・規模である。

ここ清西陵には幾つかの陵墓があるが、この日公開されていたのは泰陵と9代目・光緒帝の崇陵の2つのみ。泰陵を見終わって残るは崇陵のみとなったが、泰陵と崇陵はやや距離が離れている。崇陵間の移動はバイクタクシーを利用することにした。

崇陵
光緒帝の陵墓・崇陵
崇陵の地下宮殿
崇陵の地下宮殿。奥に棺が見える
崇陵も長陵、定陵などと比べれば小ぶりだが、いい具合に纏まっている感がある。ここは地下宮殿が公開されていて、奥に進むと光緒帝と皇后の棺が並べて安置されている。外観だけを見ていると余り実感がわかないが、これらの棺を目にしてはっきりと実感できた ―― ここは間違いなく墓なのだ、と。

大紅門に戻る前に、崇陵近くにある共同墓地に寄ってもらった。小高い丘の上に、やや隔離されているかのようにひっそりと建っている、他のものに比べて少し立派な墓標があった。
墓碑にはこう刻まれていた。 溥儀の墓
溥儀の墓

愛新覚羅溥儀

そう、あのラストエンペラーである。
本来はここ清西陵に彼の陵墓も造営されるはずだったが、清朝滅亡という時代の流れの中で造営は中止となる。彼は第2次世界大戦後に平民に落とされ、死後は北京西郊の八宝山公墓に埋葬されたが、1995年、清の皇帝として清西陵エリア内のこの墓地に移されたという。
時代に翻弄され、数奇な人生を送った彼だが、死後もまた数奇である。彼の人生に思いを馳せているうちに、私は自然と両手のひらを合わせ、墓標に向けて頭を下げていた。

結局、訪れた墓はこの3つに終わった。それでも北京に戻ったのは午後6時半。自力で清東陵に行っていたら恐らくその日のうちに北京に戻れていなかったのではないだろうか。

大連に戻る列車の時間まではまだ間があったので、趣向を変えてモダンな王府井の中に“オールド・ペキン”を求めてみた。
目指したのは、新東安市場地下にあるその名も老北京一条街だったが、改装中で店はほとんど開いていない。結局“オールド・ペキン”巡りは清西陵で完了となった

この旅行から2カ月後に日本に戻ることになる私にとって、この年の春節が中国生活最後の連休、そして大連市内散策を除けば中国生活最後の旅行となった。
帰国後の予定はこの時点でまだ決まっていなかったが、急いで仕事を始なければいけないという訳でもない。

この次こそ、久々に長期旅行だ。

<完>
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