バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

海南島

五指山 ~非漢民族の街

2006年5月4日

午前、三亜の北約100kmの山中に位置する街・五指山へ向かう。

五指山は、かつて通什(トンザ)と呼ばれていた。トンザとは、黎族の言葉で「肥沃な谷」の意味を表す。
そう。ここは海南島に住む民族・黎族そして苗族の街なのだ。
そしてこの街には、海南省最大の博物館である、海南省民族博物館がある。こうした博物館が海口ではなくここ五指山に置かれているということが、この街の特徴をよく表している。

海南省民族博物館
海南省民族博物館
海南省民族博物館
海南省民族博物館の入り口ホール

苗族の織物が飾られた入り口ホールから内部へと抜ける。博物館は中庭を中心に四方を建物で囲んでいる、言わば四合院の形式を採っている。
展示は黎族が中心で、苗族を紹介するエリアもある。展示物はそれ程多くないが、これらの民族の風俗がよく分かるものだった。
海南島全体の歴史に関する展示もあった。三国時代に、呉の孫権が陸凱をこの地に派遣したこともあるらしい。

展示されている写真の中に、見覚えのある銅像がある。唐僧・鑑真だ。中国旅行者にとっては、日本と上海を結ぶ船・新鑑真号でも親しみのある名前である。
彼は日本に渡ろうとして、実に5度も失敗し、視力さえも失ってしまった。5度目には難破の憂き目に遭い、流れ着いたのがここ海南島だったのだ。
日本を目指していたはずが逆方向、しかもコースから2000km近くも離れている海南島まで流されて、生きていただけでも奇跡に近いのに、それでもなお日本を目指す彼の精神力には、敬意を表するばかりだ。例え新鑑真号に乗って中国を目指したとしても、今の時代では彼の苦難を想像することすら不可能だろう。 五指山の町並み
五指山の町並み

博物館のほか、民族テーマパークのようなものもあるようだったので、バイクタクシー(この街ではバスも乗用車タクシーも見かけなかった)で向かってみた。
しかし、そこは既に廃墟になっていた。観光で人を呼び寄せるには、五指山はまだ力不足だったのかもしれない。

博物館だけでは少々もの足りない気分はしたが、私はそのまま三亜へ戻ることにした。

三亜に戻った私は、また海の水を浴びたり、マンゴージュースを飲みながら海を眺めたりと、リゾートビーチらしいスタイルで午後の時間を過ごした。

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