バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

満洲(2002年)

瀋陽・2 ~北の都


張氏帥府から少し歩くと“九・一八”から歴史を300年さかのぼることができる。ここにあるのが、瀋陽故宮博物院だ。ヌルハチの時代に創建された清朝の宮殿だが、清の第3代皇帝順治帝が山海関を越えて北京に入って以降は北京が清の都となったので、この故宮が清の皇帝の居として使われたのは、ヌルハチとホンタイジの時代のわずかな期間のみだ。
瀋陽故宮・崇政殿
瀋陽故宮・崇政殿
北京の故宮のわずか12分の1程度(それでも6万平方kmある)の敷地内に宮廷機能のすべてを押し込んでいるため、やや窮屈で、個々の建築物も小ぶりな感はある。瀋陽故宮を代表する崇政殿や大政殿などの建築物も、豪華と言うよりは質実な印象だ。これもやはり、北陵で感じたのと同じように、当事はまだ塞外から中央を窺っていた王朝にすぎなかったが故なのかもしれない。それでも、近い将来に統一王朝にならんとする勢いは十分に感じ取れる。
残念だったのは、故宮の中央に位置する、最も勇壮な建築物であるはずの鳳凰楼が改修中だったことである。この姿が露わになっていれば、私の瀋陽故宮に対する印象はもっと強烈なものとなっていたに違いない。
先程はホンタイジの墓・北陵を訪れたが、今度は東陵(正式名は福陵)に足を向ける。こちらは清朝の開祖・ヌルハチの墓だ。
東陵は、その名から推測できるように、瀋陽の東側にある。ただし、北陵が市街地のすぐ北にあるのに対し、こちらはバスで1時間かかる郊外にある。
福陵は、見た目には昭陵(北陵)とそう変わらない、と言うよりは、瓜二つである。 福陵
ヌルハチの墓・福陵
違いと言えば、昭陵にあったドーム型の墓標が無いことと“宮殿”内の中央を走る参道の両脇が、昭陵ではコンクリートで固められていたのに対し、福陵では緑の芝生が植えられていたことぐらいである。
しかし、ヌルハチとホンタイジは僅かに1代しか違わないにもかかわらず、なぜか昭陵以上に歴史的な重厚さが感じられた。もしかするとそれは「我こそは清の開祖」という威風だったのかもしれない。
それにしても、宮殿のような中国の古墳は、日本には見られない様式である。なぜこのような様式のものが多いのだろう ―― ふと、中国人と日本人の“死生観”の違い、ということに思いが巡った。
日本人にとって死後の世界というのは、“彼岸”という言葉に表されているように、三途の川の向こう側、すなわち現世とは全くかけ離れた存在である。お盆の時などに見られる送り火も、霊魂を滞りなく彼岸に行かせるためのものだ。
然るに、中国のこうした宮殿式の古墳は、あたかも霊魂に「死んだ後もここで暮らしてください」と言わんばかりのものだ。中国人は日本人ほど、霊魂もしくは幽霊というものに、恐怖心を抱いていないのだろうか。それとも“あの世”に関する概念が根本的に違うのだろうか。
いずれにせよ、宗教的には同じように仏教が強い両国間でこれ程までの差異が見られるのは、ある種不可解なものがある。
市中心部に戻るバスがなかなか来なかったので、タクシーを利用することにした。当たり前のことだが、身軽で、あちこち停まりながら走るわけではないので、バスより速い。しかも、行きのバスは一般道を走ったのに対し、帰りは高架道路をすいすいと走ったので、来る時の1時間のわずか3分の1、20分で瀋陽北駅に着いてしまった。

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