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世界への旅(旅行記)

大陸中国・重慶―三峡―赤壁

張飛廟、白帝城 ~「アンチ蜀」のはずが…


「桃園の会」の図
張飛廟の「桃園の会」の図
やがて、長江は夜の帳(とばり)に包まれた。
船は、雲陽の港に停泊した。この街の見どころは、張飛廟だ。
張飛益徳(翼徳という字は演義の誤り)は、言わずと知れた「三国志」に登場する蜀の武将だ。部下の裏切りで殺された彼の首が流れ着いたのが、ここ雲陽だという伝承から、この地に廟が建てられた。
船着き場から暫く歩くと、山の中腹に目的の張飛廟がへばりついている。中に入って石段を上ると、「桃園の会」を再現した、劉備、関羽、張飛の彫像が私たちを出迎えた。さらに進むと、迫力満点の張飛像が座している。がっしりとした体格に、ギョロッと見開いた目は、先程豊都で見た閻魔大王よりもいかつい位だ。
張飛益徳像
張飛益徳像

まあまあ楽しむことができたが、石宝寨を見逃してしまった悔しさは、これでもまだ晴れることはなかった。
張飛廟見学を終えて、船は再び闇の長江を走りはじめた。
時刻は10時すぎ。さあ、そろそろ寝るか、と思っていたところに、ツアーコンダクターの青年が部屋を訪れてきた。
白帝城巡りが追加になりました」
「え、今から?」
観光にはえらく遅い時間だが、白帝城はナイター営業もやっていたのだ。就寝モードに入りかけていた私は、すぐさま頭を観光モードに切り換え、荷物を持って部屋を飛び出した。
早く奉節の港に着かないかと待ちかまえていると、先程の青年が私に、何か中国語で話しかけてくる。私がそれを聞き取れずにまごまごしていると、「どうしたのですか」と、1人の少年が英語で尋ねてきた。
彼の通訳で、青年が追加料金を求めていることがようやく分かった。
金を払った後、白帝城のある奉節の港に着くまで、少年と英会話を弾ませた。
広州から父親と旅行に出てきたという、名を何智峰(以下「智峰」)というその少年は、非常に聡明で、英語が堪能であるばかりでなく、電器や中国の地理に非常に長じていた。
これから2日の間、彼は私の良きガイド役となってくれた。

白帝城
白帝城も、三国志にまつわる名跡だ。
蜀の劉備が呉との戦いに敗れ、臨終を迎えた地である。(ただし、実際に劉備が死んだ城は、現存の白帝城とは違う場所にあったらしい)
朝辞白帝彩雲間 
千里江陵一日還 
両岸猿声啼不住 
軽舟己過万重山
 (朝に辞す白帝彩雲の間
 千里の江陵一日にして還る
 両岸の猿声啼いて住まず
 軽舟己に過ぐ万重の山)

李白の漢詩でも有名な場所であり、城の庭には彼の石像もある。

三国蜀ゆかりの城だけに、城内は劉備や諸葛亮らの大木像や、劉備臨終の場面を再現した像の展示などが目を引く。
劉備臨終の図
劉備臨終の図
しかし私は、帝位の正統性は魏にあると考え、「演義」に描かれている偽聖人君主・劉備と偽軍師・諸葛亮(彼は外交・政治の人であって、軍事の人ではない)を激しく嫌っている、大のアンチ蜀・アンチ劉備派だ。しかも、激情に任せて呉に戦を仕掛け、大敗した挙げ句に死んでいった劉備の死に様は、どうしても無様としか思えない。そんな思いからか、見た後の印象度は残念ながら、これまで中国で見てきた数々の名所・名跡の中でも、あまり高いとは言えない。
とはいえ、ツアーコンダクターの青年に「白帝城に行く」と言われた時の、あの高揚感は何だったのだろう。1人の中国史ファン、そして三国志ファンとして、予定外の物を見る機会ができたことに対する、素直な喜びの気持ちだったのかもしれない。
確かに、見た後の印象、感動云々という意味では個人的に薄かったかもしれないが、白帝城に立ち寄ることができたのは、やはり幸運だった。石宝寨を見逃した悔しさも、ようやく少しばかり晴れた。

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