バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

香港―大陸中国南部

桂林~悪夢の病

1991年3月20日

広東省と広西チワン族自治区との境にある、梧州の船着場から桂林へ向かうバスの車窓から、早くもこの地区の名物である奇岩があちこちに見えた。
この風景を川下りしながら見る漓江下りはもちろんのこと、桂林の街中にも、独秀峰駱駝岩など、そうした奇岩の名所が数多くある。

桂林に着き、まずはガイドブックで目をつけていたホテル・杉湖飯店へと向かう。しかし「外国人は駄目」と、あっさりと断られてしまった。
[日本のガイドブックにも載っているのに、なぜ…]
その様子を見ていた青年が、私に近づいてきて、日本語で話しかけてきた。
彼は桃園飯店というホテルの社長の息子と名乗った。聞くと、宿泊代もバス・トイレ付きの3人部屋が1人25元と安く、日本人も多く泊まっていると言う。
[だまされるのではないか…]
そんなことを思いながらも、半信半疑で彼に着いて行った。
しかし、道すがら話をしている間に、段々彼に気を許すようになり、実際にそのホテルに到着して、まずまずの設備の良さと、広州のホテルとは大違いの服務員の接客の良さに、「彼を信じてよかった」としみじみ思った。
中国を、海外を旅行するのに、ぼったくりなどに用心するに越したことはないのだが、この時ばかりは身構えすぎた自分を少々恥ずかしく思った。 蘆笛洞
蘆笛洞

桃園飯店にチェックインすると同時に、2日後の漓江下りの切符を手に入れた。
[あの風景を生で見られる…]
 ――  そんな浮き立つ思いを台無しにする事件がすぐ後に起ころうとは、この時、思いもしなかった。


1991年3月21日

この日は1日、桂林の街をぶらぶらと巡った。奇岩だらけの街だけあって、自然の生み出す素晴らしい光景には事欠かない。

まずは鍾乳洞で有名な蘆笛洞へ。見事ではあったが、色とりどりにライトアップされており”自然の姿”には程遠く、少し興ざめな感がした。

次に訪れたのが、独秀峰。街中で一番高い岩であり、頂上には展望台がある。そこから360度周りを見ると、実に見事なパノラマが展開される。
桂林の街並みと、奇岩の光景…自然と人間の営みが融合した光景は、実に見事だ。別の方角を見ると、のどかな田園風景が広がってもいる。 何か、違う時代、いや、違う世界に来たような気分になってくる。

展望台で、同じ桃園飯店に泊まっていという1人の日本人に出会った。 独秀峰
独秀峰
桂林の街
独秀峰から望む桂林の街
グループで来ているというが、単独行動である。
「友達が2人も熱を出して寝込んでしまってるんですよ」
旅先の病気ほど、怖いものは無い。「気を付けなければ」と、自分に言い聞かせた。
しかし…。

夕方になって、食事をとろうと、近くの食堂に飛び込んだ。気のいい一家が私を歓待してくれた。
「どこから来た?」「日本からです」
片言の中国語と筆談で、話をしていると、見事な魚料理をはじめとした幾つもの皿が運ばれた。それらの料理に舌鼓をうっているうちに、妙な違和感を感じてきた。
[おかしい、いつもに比べて、食欲が無い…]
おまけに気分が悪くなり、気がつくと炒飯の中に頭を突っ伏していた。

[しまった、食中毒だ! あるいは一服盛られたか?]

「もう食事はいい」と席を立ったが、2、3歩歩くとその場に倒れこんでしまった。いつもなら「高すぎる!」と抗議するほどの食事代に対して、抗議する力も残っていなかった。
食堂の大将の肩を借りてホテルに向かう間に、気づかないうちに下痢を垂れ流していた。ホテルの服務員や、明日の漓江下りも一緒になることになった先程の日本人らが「大丈夫か?」と心配そうな顔。
 ――  大丈夫じゃない。
しかし、医者に行ったりしたら、明日の漓江下りはドクターストップ間違いなしだ。何とか、気力と常備薬だけで乗り切るしかない…。
苦痛に耐えながら、一夜を乗り切った。ドミトリーの同室になった中国人男性にも「病気か?」と心配させてしまう始末である。

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