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チベット問題

チベット問題とは

チベットの宗教問題(1)

チベットの宗教といえば、言わずと知れたチベット仏教です。チベットに行ってみると、あちこちでお経を唱えたりマニ車を回したりコルラをしたりして信仰心を示すチベット人を見ることができ、そうした光景を見ていると、チベットではチベット仏教の信仰が認められていると錯覚しがちです。
しかし実際には、1951年に中国によって侵略されて以来、チベット仏教、そして僧侶・信者たちは真の宗教の自由を奪われ、宗教を理由とした差別や嫌がらせ、時には暴力すら受けているのです。

チベット人にとってのチベット仏教

チベット人の信仰の深さは信仰心が希薄になった現代の日本人とは比べものになりません。チベット仏教は彼らの生活の奥深くにまで浸透しています。
一般の人々は神仏や、ダライ・ラマをはじめとする僧侶を敬い、祈り、五体投地やマントラを日々欠かさず、寺院や僧侶にお布施をすることを喜びとしています。
一方で僧侶たちにとっては、チベット仏教は壮大な学問であり、僧院はいわばアカデミックなコミュニティです。彼らは日々勉学に、読経に、問答にはげみ、仏道を極めて解脱の境地に達することを目指します。
チベット人にとって、チベット仏教は心の拠り所であり、求道であり、日常そのものなのです。

中国共産党にとってのチベット仏教

「中華人民共和国憲法」では、宗教・信仰に関して以下のように規定されています。

 第36条

  1. 中華人民共和国公民は、宗教信仰の自由を有する。
  2. いかなる国家機関、社会団体又は個人も、公民に宗教の信仰又は不信仰を強制してはならず、宗教を信仰する公民と宗教を信仰しない公民とを差別してはならない。
  3. 国家は、正常な宗教活動を保護する。何人も、宗教を利用して、社会秩序を破壊し、公民の身体・健康を損ない、又は国家の教育制度を妨害する活動を行ってはならない。
  4. 宗教団体及び宗教事務は、外国勢力の支配を受けない。

また、チベット侵略開始当初、無理矢理締結された「17カ条の協定」には以下のように記されていました。

 第7条

中国人民政治協商会議共同綱領[1]が規定する宗教信仰自由の政策を実行し、チベット人民の宗教信仰と風俗習慣を尊重し、ラマ寺廟を保護する。寺廟の収入には中央は変更を加えない。

[1]中国人民政治協商会議共同綱領・・・1949年9月に採択された中華人民共和国の臨時憲法。宗教に関しては以下の条文がある
第5条  中華人民共和国人民は思想、言論、出版、集会、結社、通信、人身、居住、移動、宗教・信仰及びデモの自由権を有する。
第53条 各少数民族は其の言語・文字を発展させ、其の風俗習慣及び宗教・信仰を保持或いは改革する自由を等しく有する。(以下略)

まず憲法。一見宗教・信仰の自由を保障しているように見えますが、ポイントは第3項。保護するのは「正常な宗教活動」であり、「宗教を利用して、社会秩序を破壊してはならない」 ―― 即ち、当局が「正常な宗教活動ではない」「社会秩序を破壊(しようと)している」と言いがかりをつければ弾圧できる道が開けているのです。
次の「17カ条の協定」ですが、これについては協定そのものがやがて反故にされ、有名無実化していきます。

上にも書いたように、チベット僧院はアカデミックなコミュニティであり、僧侶たちはインテリゲンチャであり、いわば「学生」。彼らは例えるなら、1960年代の日本で社会運動の中心となった学生たちさながらの立場で、中国共産党政権占領下のチベットにおいてしばしば社会運動の中心となりました。これが、当局がチベット僧及び僧院に対して「反社会分子」のレッテルを貼る口実を与えてしまいました。
しかし、こうした動きが無くても中国共産党は早晩チベット仏教を弾圧していたことでしょう。もとより唯物思想で凝り固まった中国共産党にとって、「宗教は害毒でありアヘンである」が本音であり、また彼らの階級闘争理論の中で僧院は"搾取する側"に位置づけられます。弾圧する口実を狙い続けていたのは容易に想像できます。

そして、インドに亡命して国際社会にチベット問題を訴え続けるダライ・ラマ14世に対しては「国家分裂主義者」のレッテルを貼り、誹謗・中傷を繰り返しています。

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